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ボクの故郷は東京下町の錦糸町!

  ボクらの次男夫婦が東京の江東区猿江町に家を新築したというので、新築祝いと孫の顔を見に上京しました。ボクの故郷は東京の錦糸町。猿江というとボクの子どもの頃の遊び場だったので、懐かしい思い出を求めて一緒に猿江公園と錦糸町に散歩しました。

  猿江公園は、ボクの少年時代には大部分が貯木場(木場)でした。驚いたことに、今はそのほとんどが埋め立てられて広い公園になっていました。たくさんの樹木が植えられ、整備された公園はなかなか良いのです。大都会の真ん中に、これだけの緑の空間があることは素晴らしいことだと思います。

猿江恩賜公園

 

  昔、貯木場だったところの一部が、水取りがすむ池となっていました。ガキの頃は、その貯木場で泳いだり、釣りをする遊び場で、いかだ士が全国から集まる材木をいかだに組んだりしていました。そのいかだに飛び移って遊んだり、いかだの下を泳いで渡るのが面白かったことを思い出します。潮時が来ると、オボコ、イナ、ボラ、ハゼなどを釣りましたが、多いときにはバケツ一杯も採れたのですよ。もちろん、それはその晩の食卓に上りました。

木場跡地の看板

  その木場の水はすぐ隣を流れる横十間川(下の写真)から引かれていました。東京の下町は碁盤の目のように掘りがめぐらされていますが、横十間川はその一つです。懐かしいですね。 

横十間川

   その土手には、アンズの花が咲いていました(下)。モクレンも咲いていました。

アンズの花

   そのうちに、都立墨東病院が見えました。それは、昔のボクの家のすぐ近くにあったのです。当時は結核病院で、高い塀がめぐらされ、建物も小さかったのですが、今は高層ビルになっていました。

墨東病院

   下の写真が、ボクの家のすぐ隣にある錦糸堀公園です。現在は写真に見るように高層ビルの中の空き地ですが、当時は周囲も含めて草ぼうぼうの荒れ野原で、バラック建ての家が点在する程度で、今からは想像もできません。草ぼうぼうだったこの公園で、秘密の基地ごっこをして遊んだことがよみがえってきました。

錦糸堀公園

   この公園の片隅に、「おいてけ堀り」の伝説の記念碑と看板が立っていました。江戸時代、昔はこの界隈の堀りは魚が良く釣れて、釣り人がやってきてたくさん魚を釣って帰ったと言います。ある釣り人がたくさんの魚を釣って帰ろうとした夕暮れ時、堀から「おいてけ、おいてけ!」という声がしたので、怖くなって釣果を捨てて逃げ帰った、というのです。その後、何人もの一が同じような体験をしたので、この界隈の堀を「おいてけ堀」というようになったそうです。その声の主は、河童(カッパ)でした。そこで、下の写真のような河童の像が建てられたわけですね。今は、想像もできないほど寂しい土地だったのです。でも、楽しい伝説ですね。

おいてけ堀の看板

   下の写真は、JR錦糸町の様子です。左が駅ビル。東京の副都心にまで成長した繁華な街です。

JR錦糸町

   下の写真に見る駅前広場は、当時は闇市が建ち並び、威勢の良いかけ声で売る「たたき売り」に大勢の人々が集まっていたのです。寅さんの風景ですね。日本一安い大きな魚屋さんは、今でもあります。昔は都電というちんちん電車が走っていましたが、錦糸町は路面電車の発着場があり、いつでも人があふれていました。昔から、ホントに活気のある街でした。

錦糸町駅前

   そんな思い出をたどりながらの楽しい散歩でした。しかし、ボクの幼友達は、今はほとんどここに住んでいません。郊外に移り住んでいます。昔の街の面影はまったくありません。ということで、ボクは故郷を持たない人間、ドイツ語のハイマート・ローゼン・メンシェンなのですね。

 

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coppice(雑木林)

森楽、flutevioline

Author:森楽、flutevioline
退職後、都会生活ばかりだったボクにとって田舎の自然豊かな里山の生活は、新しい発見の連続で楽しい! 自然の写真が満載です! また、こんな老い生き方があることを示したみたい!

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