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森林の歴史、時代と共に森林も変わってきた!

 

森林の歴史とは?

 

ここでは、森の自然は現在と変わらない自然が続いていたのではなく、時代と共に変わったいくことの極く概略を述べます。詳しく述べたらきりがありませんので。

 

氷河期の気候と植生

  さて、世界的規模で見た時、地球には約200万年の間に10回の氷河時代と間氷期の繰り返し(約10万年周期)が起こったと言われます。ヨーロッパ大陸の北の方や北米大陸の北の方には、今の南極に匹敵する巨大な氷河(大陸氷床)が覆っていました。それほどに大規模な気候変動がありましたので、当然、森林も大規模に変動しました。地球全体が大規模な気候変動の影響を受けています。日本も例外ではありません。

2万年くらい前の氷期は、繰り返された最後の氷河期でありますので、最終氷期と言われます。その時代には、日本では平野にまで氷河が覆うことはありませんでしたが、日本全体が寒冷化して、高山には氷河が覆っていました。年平均気温が今より約9~10℃も低く、著しく寒冷であったのです。ですから、先の述べた森林限界は1500mも下がり、森林帯も全体に下がっていました。その時代は、平野の植物も寒冷に耐える樹種、トウヒやモミなどの針葉樹林、あるいはツンドラの草原が広がっていました。関東平野や濃尾平野がツンドラの草原だったなんて、信じられませんね。
  さらに驚くべきことは、海面が現在よりも120~140mくらい下がっていて、陸地がずっと広がっていたのです。氷河というのは氷ですので、それが陸上に巨大な堆積で堆積していたのですから、海の水が少なくなった結果、海面が低下したのです。120mの等深線をもとに陸地を描いてみますと、朝鮮半島語日本列島は、陸続きのようになりました(ただし狭い海峡は存在したようです)。日本は九州・四国は本州と陸続きでしたし、北海道とは狭い海峡がありましたが、日本列島とほぼ一続きになりました。東シナ海の大部分は陸地であり、中国の大河である揚子江も黄河も九州沖の東シナ海に注いでいました。海陸の分布が変わると、それに伴った陸上の気候も変わります。

 

新石器農耕文化の誕生と古代文明

その後、約1.5万年前頃から次第に気温が急激に上昇し、約1万年前にはほぼ現在のような気温状況になったと言われます(晩氷期)。それまでツンドラ草原であった地域に森林が拡大していきました。森林の中で鳥などを採るために弓矢が使われるようになった(矢じりがたくさん出土)時代です。

1万年前、人類の歴史では、旧石器時代から新石器時代に移り変わります。約1万年前に中近東地域(今のイスラエルを中心とした地域)で、小麦や大麦栽培を中心とする農耕文化が始まります(新石器農耕文化)。それまでの狩猟・採取の文化から農耕文化へと移り変わり、その結果人々が使う道具がそれまでの打製石器から磨製石器が作られるようになりました。そのような変化も、温暖化した気候の影響が原因でもあります。作物栽培が可能になるのは、気温が高くて湿潤な気候が必要です。農耕によって得られた食料は、それまでの不安定な狩猟・採取の時代には考えられないほど革命的な食糧革命をもたらしました。その農耕文化が、中近東地域から全世界に広まった行きました。

6000年くらい前から、いわゆる古代文明が起こります。古代エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、古代中国文明です。それは、農耕文明によってもたらされた富によって築かれたのです。いずれも、ナイル川、チグリス・ユウフラテス川、インダス川、黄河など大河のほとりに、ほぼ同時期に誕生し、強大な国家権力が誕生しました。なぜ6000年くらい前なのでしょうか? のちに述べるヒプシサーマル期の温暖化が影響しています。

 

日本の縄文時代は?

 約1万年前後には、日本では縄文時代が始まります。正確には1.2万年くらい前から縄文草創期が始まります。それまでの打製石器から土器が使われるように変化したのです。食べ物を貯蔵したり煮炊きしたりするのに土器を使ったのですね。これは、日本独特の文化で、ヨーロッパでの土器の使用はずっと後のことです。このころの西南日本の大部分は、湿潤温暖な気候条件のもとに暖温帯の森林におおわれるようになりました。森林の木の実を食料にしていましたので、土器が必要となったのです。縄文人は、ほとんど森の中に住んでいたのです。縄文早期から中期の遺跡の、青森県に発見された三内丸山遺跡では、クリの栽培がおこなわれていたことが明らかにされています。そこは日本列島の北の方ですので、おそらく冷温帯の落葉広葉樹林の森であったと推定されています。

その後、約6000年前をピークに今よりも平均気温が23℃ほど高くなり、温暖な時期が訪れます(縄文時代の前期から中期にかけての時代)。ヒプシサーマル期と呼ばれています。その当時は、常緑広葉樹林(照葉樹林)が広がっていました。縄文人は、常緑の巨木、ツブラジイの木の実(椎の実)を食料にしていたことが明らかにされています。

 

稲作農耕文化の到来(弥生時代)

 約2300年前頃に、大陸から稲作文化が到来し、いわゆる弥生時代が始まります。森林の中に暮らしていた人々は、稲作に必要な水が得られる平野の土地に開田し始めました。平野はそれまで照葉樹林の森に覆われていましたが、それらを伐採し、川から水を引いて田んぼを作っていったのです。平野の大部分が水田化したのにどのくらいの時間がかかったかは知りませんが、途方もない労力と時間をかけたと推定されます。とにかく、水のかかる平野の土地は、ほとんどの森林は伐採された開田されました。この開田によって定期的にコメが入手できるようになり、それまでの狩猟・採取に頼っていた人々の不安定な食生活は一変し、安定した食料が得られるようになったのです。それは革命的な生活の変化でした。そこに古代の権力が発生したのです。

 

 というわけで、縄文時代から弥生時代への変化は、自然の森林をも大規模に変化させました。人類の技術の進歩とともに、自然(森林)もおおきく姿を変えていったのです。

 さて、その後はどのように変化したのでしょうか? それは次回に述べることにしましょう。


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coppice(雑木林)

森楽、flutevioline

Author:森楽、flutevioline
退職後、都会生活ばかりだったボクにとって田舎の自然豊かな里山の生活は、新しい発見の連続で楽しい! 自然の写真が満載です! また、こんな老い生き方があることを示したみたい!

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