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「終の棲家」を作り、エンディングノートを作っておこうと思います!

  脳梗塞などという大病をすると、生き方を考えるものなのですね。いつもと同じように生きているつもりでも、いつまでも元気ではおられないと思うようになり、身辺の整理をしなければいけないとも思うようになったのです。今回書くのも、そのことです。

  作手にセカンドハウスを作った頃は、こんな大病を患うなんて考えもしませんでしたし、「終の棲家」として家を作ったのですから。ところが、ボクも連れ合いも救急車で病院に運ばれるような大病や異変を起こしたり、いろいろの病気になったりしますと、今後のことが心配になります。

身辺整理を思い立ったのは、ボクの病気の経過

  ボクの場合、今年は、正月ころから孫の風邪をまともにもらってしまい、高熱に悩まされました。それで体力を弱めてしまったのか、その後、帯状疱疹になりその痛みに苦しみました。ようやくそれも治ってきたと思ったら、3月には脳梗塞にかかり、緊急に入院。幸い軽かったので、10日で退院でき、後遺症もほとんどなく過ごすことができました。その後は、毎日血圧を下げる薬と血液サラサラの薬を飲み続けています。

  ところが、血圧を下げる薬が効きすぎて、血圧が下がり、立ちくらみや貧血が頻発したのです。再び病院で精密な検査をし、薬の飲み方を変えてみたりしました。しかし、一向にのよくならず、いまでも立ちくらみがしばしば起こります。早朝時の血圧はかなり高いのです。次に脳梗塞を起こしたら、即死または重大な後遺症を伴うものになるでしょう、というふうに脅かされています。

  その後、5月連休の頃、ようやく体力が回復してきたので、懸案だった薪用の丸太をHさんの庭から運んでいる時に、重たい丸太を足の上に落としてしまい、左足の親指に大怪我をしてしまいました。脳梗塞予防のための「血液サラサラの薬」を飲んでいたために、なかなか足指の出血が止まらず、とても痛い思いをしました。それが治るのにふた月もかかりました。
  
  そんなような状態で、足の指の痛みが気になって、庭の草刈や外の仕事がほとんで出来ないでいましたが、ようやく7月ころから外の仕事もできるようになり、毎日の日課にしていた散歩も少しづつできるようになりました。今は、何不自由なく散歩を含めた生活しているのですが、70歳を過ぎてから様々な病気の苦しみを体験しまして、今後も似たようなことが起こるに違いない、いつまでも若くはないし、大病になったらと心配になったわけです。

  ボクの連れ合いも、先日、急激なめまいに襲われ、立てなくなり、救急車で病院に運ばれました。救急車で病院に運ばれるなんて、もちろん初めての経験です。それまでは、病気一つせず、必ずボクと一緒に野山を散歩するほど元気だったのに、急に病に倒れたのです。心配しましたが、入院するほどでもなく、回復しましたが、いつ何時そのような急変が起こらないとも限らない不安が残ります。

  とくにこの作手では、車の運転ができなくなったら、生きていけないと思います。農協マーケットや診療所は遠いので、車が運転できなければ、毎日の食べ物の買い物に出かけることも、診療所に行くこともままならなくなるからです。


 「終の棲家」を!

  というわけで、いつ死んでも良いように、身辺の整理をと思い立ちました。「死の準備」といっても良いのかもしれません。次に大病したら作手に住めないことが目に見えていますので、その後の「終の棲家」を考えなければなりません。ボクらの場合は、岡崎に昔に建てて住んでいた木造の家がありますので、そこに住めば良いわけです。ところが、その家も、40年も前に建てた家ですので、耐震建築にはなっていません。大地震が来たらひとたまりもなく壊れるでしょう。この地方に大地震がやってくるのは近い将来(東海大地震)ですし、そんな家に住むのは怖いと思いますので、そこに住むのならば、この際、蓄えを叩いてでも耐震工事をしておこうとを考えました。来年4月からの消費税の値上げもありますので、この時期が最適と考えたのです。

  前に岡崎の家のリフォームをしていただいたYさんに連絡したところ、快く応じて下さり、具体的な設計に入りました。はじめは、どうせリフォームをするなら、二階を賃貸住宅にして収入を確保することを考えたのですが、そうすると二階にトイレや風呂を作ることになるので、見積書をみたらものすごく高価になってしまうのです。そこで、ボクらにはそれほどの蓄えがないのでそれは諦め、最低限度の耐震工事だけにすることにしました。もうじき、企画書が出てくるのですが、来年の正月明けから工事が始まるということになります。

  30年以上も住んだ家です。僕らにとって、懐かしく馴染んだ家です。壊してしまうことはもったいないという思いもありました。さて、どんな「終の棲家」になるのでしょうか。


  「身辺の整理」とは

  というわけで、岡崎の家をリフォームするとなると、そこに蓄えてあったもろもろの品々を片付けなければなりません。膨大な量の書籍類や昔の書類・資料があります。ボクらの使い古した品物、タンスの中の衣類など膨大な量です。具体的に捨てる作業をはじめますと、この本は捨てたくない、これは取っておきたいものがたくさんあるのです。そういうふうに考えていきますと、ほとんど捨てられなくなるのです。こんなことではいつまで経っても片付かないと思い直し、「思い切って」それらすべてを「捨てる」ことにしました。心の想いは残りますが、この際やむを得ません。心を鬼にして、「思い切ること」が大事だということがわかりました。そのように思い切ると、片付けはスムーズに進みました。倉庫にあるものも、全て廃棄しました。。

  でも、使えるものまで捨てるのはもったいないという思いがあり、いくつかのものは取っておいて、今後の役にたてようとは思っています。でも、どれだか使うかは、未知数です。そんなものを残しておいても役に立たないかもしれませんので、捨てたほうが良いのかもしれませんね。

  ところが、困ってしまうのは、子供たちの残した品物です。所有権は彼らにありますので、捨てるわけには行きませんし、しかもその量が馬鹿にならないくらいあるのです。このくらいは捨ててもいいのでは、という思いはあるのですが、成績の通知表とか旅の時に買ったと思われる思い出の品々に出会うと、迷ってしまいます。そんなことで、原則として子供たちの物には手をつけない、という方針で片付けをしています。それが山ほどあるのです。彼らが岡崎に来るときに処分すべきものを選択してもらう以外にありません。

  まだ完全には終わっていませんが、なんとボクの車に乗せて市のクリーンセンターに運んだ量は、車に10台分くらいになりました。何度も出入りすると、クリーンセンターの職員とも顔なじみになりました。

  とにかく、身辺の整理とは言っても、楽ではありません。しかし、この時期に片付けておかないと、結局はボクらの死後、息子たちが片付けなければならないのです。考えてみれば、息子たちは、親の残した訳のわからないものをどうやって処分するのでしょうか。おそらく困ってしまうに違いないと思います。僕らにとってどんなに大事なものでも、彼らには「ただの物」にすぎません。そんなものを彼らに残す方が間違いなのでしょう。でも、最後まで心が残りますが、そのように割り切って、「捨てに捨て」ているのです。これが老年になった者の「身辺の整理」というものなのでしょうね。

  あるテレビドラマで、主人公のおばあさんが、大量に取っておいた品物が部屋に溢れ居場所を塞いでいる状態でしたが、それらを捨てることによって、気持ちが前向きになって生き生きとしてくるという物語を放映していました。物を溜め込むのはそれに縛られるということであり、それを捨てることによって、その束縛から解放され、前向きに生きることができるようになるのですね。そんなことを、この年になって学ばされています。

  エンディングノートを

  もう一つの身辺整理は、エンディングノートを書く事です。ボクらのうちどちらが先に逝くかは神様しかわからないのですが、どちらが先に行っても、死が近いことは確かですので、それに対する備えをしておくことを考えなかればなりません。今は元気なのでそんな気にはなれないのですが、葬式の準備くらいは息子たちに伝えておかなければならないでしょう。

  長生きをして欲しいと思うのは親族の心情でしょうが、今の医療が高度に進んでいて、自然に死ぬこともままならないのです。意識もなくなり、食物も飲み込むことができす、生きているだけという状態でも、胃瘻などの処置によって生き続けることは可能になっています。酸素吸入も同じで、それによって呼吸し続け生き続けることは可能です。しかし、生前にそのような不自然な死をしたくないという意思表示があれば、息子たちも迷わずに済むだろうと思います。ボクはそうしたいと思っていますが、その意思表示がなければ、おそらく迷うと思います。

  葬式についても同じですね。どのような葬儀を行いたいのか、生前に息子たちに伝えておくことは大事だと思います。ボクらの場合は、キリスト教式の葬儀にしたいと思っていますが、葬儀を身内だけで行うことにするか、記念会のような形で行うのか、それとも葬儀自体を行わないことも考えられます。さらに、葬儀の内容について、どの牧師に司式してもらうか、葬儀で歌う愛唱賛美歌をどれにするか、奏楽をどなたにお願いするか、など細々としたことを決めておかなければなりません。

  お墓についても、どのようなお墓にするのか、お墓はいらないとするのか、自然葬にするのか、その場合どこにどの様の散骨するのか、など決めておかなければなりません。ボクの場合には、お墓はなし、ボクが愛してきたこの作手の山々に散骨してほしいと考えています。お骨の一部分を既にある森山家の墓に分骨することも考えています。その他、遺産相続のこともありますね。具体的にはもう少し息子たちの将来がどのようになるかが分かりませんので、もう少し時間を置いて考えていきたいと思います。そのようなことを息子たちに伝えておきたいと思っています。

  そこで、その意思表示を生前に行っておくことが、エンディングノートと言われるものですね。最近流行りのようで、それが市販されていることを知っています。ボクはまだ買っていないのですが、それらをいろいろと参考にして、これから書いてみたいと思っています。まだ構想の段階で書いていませんので、ボクらのこれからの課題です。




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coppice(雑木林)

森楽、flutevioline

Author:森楽、flutevioline
退職後、都会生活ばかりだったボクにとって田舎の自然豊かな里山の生活は、新しい発見の連続で楽しい! 自然の写真が満載です! また、こんな老い生き方があることを示したみたい!

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