スズメのバードストライク!今年はヤブツバキがたくさんの花を付けました!

    ボクの痛風は、その後再び猛烈な痛みに襲われたのですが、駆け込んだ整形外科のお医者さんが痛み止めの良い薬を処方してくださって劇的に痛みが引きました。痛みの程度を最盛時10とすると、1~2くらいです。しかし。完全に治ったわけではなく、一時的な回復だそうですが、その後も安定しています。とにかく、痛いのはつらいですので、痛みが和らいで嬉しいです。
  さて、2,3日前、デッキにスズメの死骸が転がっていました。うちのガラス戸に衝突して死んだしまったようです。バードストライクと言って、ガラス戸に景色が映りますので、森が存在すると思い込んで、小鳥がガラスに激突して死んでしまうのです。すだれのようなものを設置しておかなかったことを悔やんでいます。丁寧に埋葬しておきました。


死んだスズメ 

  家の裏庭の水路沿いにヤブツバキが生えているのですが、今年はたくさんの花が付きました。数年前、小さな苗木が生えてきたのに驚いていたのですが、それがこんなに大きく成長したのです。もともと生え出たところは、家を作るときに盛り土したところですので、土の中に実が入っていてそれが発芽したとは考えられません。しかし、ツバキのような大きな実が小鳥たちによって運ばれてきたとは考えにくいのです。ツバキの実は直径2㎝くらいあります。おそらくカラスのような大型の鳥によって運ばれてきたのではないかと推定しています。こんなに大きく成長してたくさんの花をつけてボクらを楽しませてくれていることに感謝しています。


裏庭の藪椿が 
裏庭の藪椿が2 


  ヤブツバキのすぐそばに、シイタケのホダギを置いてあるのですが、下の写真のように、シイタケが大きくなっていました。収穫して食べましたが、とても美味しいのです。収穫はうれしいものですね。


ホダギにシイタケが 


  収穫の喜びに浸っていたら、庭の畑に植えてかなり大きくなった豆類がイノシシに掘り返されていました。下の写真のように、畑はめちゃめちゃです。イノシシは豆の根っ子を食べるのでしょうか。

イノシシに荒らされた畑 

  さて、墨書したポスターですが、またいくつか書きましたので、それをご紹介します。下は、反原発のポスターの言葉です。最近は、次々と原発が再稼働させられています。福島の原発災害の恐ろしさを国民すべてが追体験したのに、政府と産業界は原発の固執しています。裁判で一つの原発の仮処分が認められて稼働が止められたことは、ようやく国民や住民の意見が司法に認められたこととして喜ばしいことですが、本裁判では予断を許されません。


赦すな原発再稼働 

  下のポスターの言葉のように、私たち日本人は、福島に被災者の苦しみを忘れてはならないと思います。いまだに何万人もの人々が故郷に帰ることができずにいます。彼らの生活や健康のの不安は消すことができません。その痛みを共有していかなければならないと思うのです。フクシマとカタカナで書くのは、ヒロシマと同じように福島県というローカルな地方の出来事ではなく、人類の記憶遺産として記念すべきだと考えるからです。
フクシマの痛み

  下の俳句は、中日新聞の「平和の俳句」の中から選びましたが、作者の視点が面白いですね。現地では除染によって復興をもたらそうとしていますが、除染によって出た放射性物質のごみは黒い袋に入れられたまま放置され、その最終処分場すら目途が立っていません。日本では、地域ごとに神社仏閣がありますので、この俳句の作者のように、除染で神が仏が戻ってくるとは誰しも思わないですね。

除染して 


スポンサーサイト

ジンチョウゲが咲きました!クリスマスローズも!戦争責任を忘れるな!

  痛風による足指の痛みはまだ引いていかないのです。あまりに長くかかるのと、罹っていたお医者さんが内科よりも整形外科の方が良いのかもしれない、ともらしたので、整形外科で診てもらうことにしました。整形外科のお医者さんらしく、行ったらすぐに足指のレントゲンを撮ってもらいました。その結果、痛みを発するボクの親指の付け根の骨に穴が開きそうになっていました。分泌される酸で骨が溶かされてしまうのだ、と説明を受けました。ちょっと驚きましたが、でも痛風が治れば、自然の治癒力で骨は修復されるとのことです。それを聞いて安心しましたが、痛みの原因はそのあたりにあったようです。完治するまでには、まだまだ時間がかかりそうです。
 というわけで、なかなか野山を散歩することができません。野山には春になって春の草花が咲いているのに、それを撮影できないなんて悲しいです。何よりも、この病気になってから散歩ができないので、精神的にも、肉体的にも困っています。精神的には何しろ気分が晴れません。肉体的には、体重が増えるなどの弊害が出始めています。

  そこで、すぐ近くのわが庭くらいしか、自然を観察することができないのです。わが庭では、ジンチョウゲが開花しました。つぼみの赤と花弁の白が美しいハーモニーを奏でていますね。甘い香りが一面に漂っています。



  クリスマスローズも、一輪だけ花が開きました。
  墨書したポスターの続きをご披露します。安保法制に反対する標語を掲げていますが、日本人として考えるべき根本的な問題として「戦争責任」があります。日本民族始まって以来、70年前のあの戦争くらい、大きな出来事はなかったと思います。あの戦争から何を学ぶのでしょうか。政治をつかさどる為政者ばかりでなく、日本人ひとりひとりに責任があるのではないでしょうか。安倍首相も含めて、政権政党の自民党には、あの戦争の責任が自分たちにあることを考えようともしません。再びあの戦争時代に逆戻りする思想に取りつかれているのではないかと思います。近隣諸国に侵略という大犯罪を犯したことなど、忘れたいのでしょう。これでは、近隣諸国と仲良くすることなど、できようがありません。

渓谷のヤマザクラ2



  聖書の言葉ばかりでなく、礼拝で歌う讃美歌にも素晴らしい歌があるのです。下の歌も、平和を求める心を歌っていますが、まったく同感です。ひとたび戦争をして敵を殺すと、その憎しみが増幅して報復の戦いになります。憎悪と憎しみの連鎖が大きな戦争へと発展してしまうのですね。昔日本は、「鬼畜米英」と言って敵国に対する憎しみを煽り、戦争に突き進みました。情報を操作して敵国に対する憎しみを煽り立てた政府は糾弾されるべきですが、それにやすやすと乗せられた国民も責任があります。「敵をも愛せ」とイエス・キリストは言いましたが、それを実行しない限り戦争はなくならないのではないでしょうか。

resize0225.jpg 

  今流行りのスヌーピーの漫画に、下のような素敵な言葉がありました。聖書や讃美歌ばかりでなく、漫画にも素敵な言葉があるのですね。わたしたち人間にとって「苦しみ」は避けたいものですが、それを経験することにも大きな意味があるという指摘は考えさせられますね。

渓谷のヤマザクラ 



  下手な墨書ですが、少しずつきれいに書けるようになるのはうれしいです。ボクは習字の先生に習ったのでもなく、ただ美しく文章や詩を書きたいという思いで書き続けています。とても楽しいのです。

武器輸出は人殺しに加担すること!敵を愛し、迫害する者のために祈れ!

    下は、教会の掲示板に筆書きしたポスターの一つです。
resize0220.jpg 

  今の政治に対して一番頭にきていることは、歴代の政府によってずっと守られてきた「武器輸出三原則」が安倍政権によって反故にされていることです。日本の高度な技術力があれば、兵器を作ることは容易です。それによって企業は金儲けもできるでしょう。経団連の要請によって安倍政権はこの三原則をないものにしました。裏にはアメリカ軍の要請があることは明らかです。この点でもアメリカ追従の姿勢を暴露しています。
 武器がなければ殺し合いの戦争はなくなるでしょう。いくら日本経済が潤うとはいえ、人殺しの道具である武器を作って輸出することは、人殺しの戦争に加担することです。犯罪に手を染めることと同じです。それほどまでして、金儲けをしたいのでしょうか。経済人の倫理観を疑います。それを政府が手助けして、長く続けられてきた国の大方針をいとも簡単に反故にしてしまうなんて、赦されない暴挙です。
  さらに、日本の大学がこれまで守ってきた、軍事研究に加担しないという原則を、文部省がゆるめるように要請したのです。それに呼応する大学も出てきていることに驚きを感じています。研究費が少ない大学の研究者は、防衛省の潤沢な研究資金に目をくらまされるのです。日本の大学の研究者はここまで堕落してしまったのです。
  アメリカは、軍事と産業界が結びつくことによって、戦争をし続けないと経済が回っていかないような国になってしまいました。産軍複合体です。その結果、戦争をしていない年がないほど、世界各地の紛争に介入しては戦争を起こしています。それに大学までもが加わってしまったのです。戦争がないと、軍需産業が不況になり、その失業者があふれるからです。日本は、その後を追っていくのでしょうか。日本の将来を決定づけるような重大な方針転換を安倍政権が決定してしまったことの重さを、日本国民は知らなければならないと思います。

??? 


  私たちキリスト者が安保法制に反対するのは、聖書的な根拠に基づいています。上の言葉は、皆さんよくご存じのイエス・キリストの言葉です。若いころこの言葉に接して強い驚きを感じたことを思い出します。「敵を愛する」なんてできるのだろうか、自分に敵対して迫害してくる者のために祈るなんて不可能だ、と思ったものでした。でも、よく考えてみると、敵を許さない限り、自分に敵対する者の心を和ませ、和解することはできません。イエス特有の逆説ですね。

ミスジチョウ 


  上の言葉は、旧約聖書に出てくる預言者イザヤの言葉です。イザヤ書11章の原文はもっと長いのですが、その文章を引用しましょう。
  「狼は小羊と共に宿り
   豹は子山羊と共に伏す。
   子牛は若獅子と共に育ち
   小さい子供がそれらを導く。  
   牛も熊も共に草をはみ
   その子らは共に伏し
   獅子も牛もひとしく干し草を食らう。 
   乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
   幼子は蝮の巣に手を入れる。 
   わたしの聖なる山においては
   何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。」
  古代のユダヤでは、近隣諸国との戦争が絶えませんでした。その時々に神からの召命を受けた預言者が起こされ、人々に神の言葉を語り継ぎました。多くの預言者が敵の脅威を煽って戦争をけしかけていた中で、イザヤは、神の支配が必ず来る、その時には上の言葉のような平和が訪れることを予言したのです。狼と子羊、講師とライオン、ライオンが干し草と食べ、幼子が蝮の巣に手を入れる、そのような弱肉強食の世界にも強者と弱者が共に生きる奇跡が起こる、というのです。すごい言葉ですね。

ツマグロヒョウモンのメス


  上の言葉も、イザヤの預言の言葉です。これもイザヤ書2章の原文を読みましょう。
  「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
   彼らは剣を打ち直して鋤とし
   槍を打ち直して鎌とする。
   国は国に向かって剣を上げず
   もはや戦うことを学ばない。」
  これも、イザヤの平和主義の言葉です。この言葉が、国際連合の建物の玄関に掲げられていることは有名ですね。素晴らしい言葉です。剣を鍬に、槍を鎌とするというのです。剣や槍という戦争の道具を平和な農耕の道具に変えるというのです。そして、この言葉、国と国とが戦争を学ぶことがなくなるのです。何という希望に満ちた言葉でしょうか。中近東諸国ではすさまじい殺し合いの戦争が行われています。イザヤの正義は実現するのでしょうか。

  安保法制が問題になってから、中日新聞では「平和の俳句」が連載されており、タイムリーな企画に賛辞を送っています。毎日、朝刊の一面にその俳句が載せられていて、その句を読んでいます。素晴らしい心打たれる句があるのですね。そのいくつかを墨書でご紹介します。

シジミチョウの仲間か? 
  戦争をしないですんだ戦後の70年間を、誇りに思っている作者の心が伝わってきますね。同感です!

resize0222.jpg
   この句も、平和の中で生かされている幸せを表現している素晴らしい俳句ですね。

掲示板に安保法制に反対するポスターなどを筆書きで!

  前々回に、ボクが所属する教会の掲示板(小さな伝道所)に筆書きのポスターを書きはじめたことをお話ししました。もちろん、キリスト教信仰に関する事柄を集会で学んでいるのですが、イエス・キリストの生きざまからして、その視点から現代社会の問題も話し合われます。そこで、掲示板の内容も、牧師が語る「礼拝メッセージの内容」、現代社会に対する「私たちの主張」、そして心に残る「聖書の言葉など」をポスターとして掲示するわけです。1,2週間ごとにポスターを張り替えますので、その時々のポスターをご覧に入れたいと思います。今回は、今、掲示されているものを若干の解説を加えてみます。
安全を求める 

  礼拝で語られる牧師のメッセージの題を右側に示しました。今は、キリスト教の暦では受難節(キリストの十字架の苦しみをしのぶ季節)ですので、イエスの十字架の意味に関するお話しでした。
安全を求める 
  
 今回は「私たちの主張」として、「安保法制ではなく善隣外交を」を掲げました。言うまでもなく、安保法制を整備し、武力で国を固めるのではなく、近隣諸国と仲良くすること(善隣外交)に積極的になることが結局平和をもたらすことになるのではないかと思うのです。やれ北朝鮮が!中国が!韓国が!と近隣諸国の脅威を煽ることが怖いのですね。安倍首相は、だから国を守るために、安保法制を整備して、アメリカとの軍事同盟を強化し、自衛隊の軍備を増強する方向に向かってしまうのです。方向が逆を向いていると思わざるを得ません。
 次の「私たちは、安全を求める限り、平和は得られない」という言葉も同じことを言い表しています。この言葉は、ナチスドイツ政権の犯罪をやめさせるためにヒトラー暗殺計画に加わったキリスト教の牧師・神学者、ディートリッヒ・ボンヘッファーの言葉です。自分たちの安全を求めるということは、敵が自分たちを攻撃しないようにすることと同じです。敵(諸外国)を攻撃しいかぎり、自分たちの国の安全は保たれないという思想です。武力で安全が保障されるという幻想に酔わされていくことが恐ろしいのです。ボンヘッファーの言葉は鋭いですね。
天に星 
  「聖書の言葉など」では、聖書以外にも素晴らしい言葉がありますので、それらをも掲示したいと考えているので「など」と表現したのです。「天に星、地に花、人に愛」は、ボクが勝手に作った標語です。天に星が輝くように、地の野山に美しい花が咲くように、人々の間に愛があるように、というのがボクの願いです。いい言葉でしょ!次の言葉は、旧約聖書の詩編の言葉です。旧約の詩人の、悩みの中からほとばしり出た言葉に感動させられますね。  
沖縄の痛み

  右は、使徒パウロの言葉ですが、素晴らしい言葉ですね。喜びも悲しみも、みなで共有し合う共同体(教会)を作りたいと思います。そこに神の国があるのだと思うからです。
  左の句は、中日新聞に連載された「平和の俳句」から拝借しました。沖縄の人々の苦しみが報道されるにつけ、この句の作者の叫びが伝わってきますね。僕らも全く同じ思いです。沖縄の辺野古への基地建設の反対運動に、わたしたちは熱い思いで声援を送っています。



coppice(雑木林)

森楽、flutevioline

Author:森楽、flutevioline
退職後、都会生活ばかりだったボクにとって田舎の自然豊かな里山の生活は、新しい発見の連続で楽しい! 自然の写真が満載です! また、こんな老い生き方があることを示したみたい!

最近の記事

最近のコメント

ブログ内検索

QRコード

QRコード