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足助の街並みとおひなさまが美しい!土雛が面白い!

 足助おひなさまをご案内しています。
 下は、明治39年の内裏雛です。家の方に聞いたところ、明治39年というのは、この家のひいおばあさんが生まれた時に作ったものと聞きました。その家に子どもが生まれると、親族や近隣の人々から 雛人形が贈られたと言います。女の子でも男の子でもお祝いするのが習いだったそうですので、お雛さまの風習はここでは、女の子だけではなかったようです。


土雛の内裏雛

   下は土雛ですが、当時庶民のあいだで親しまれてきたキャラクターが人形になっています。ここには出ていませんが、多くの土雛は有名な武将の蔵が描かれて いました。それは、男の子であれば、このような優れた男になるようにと、女の子が生まれればこのようなたくましい男に出会いますようにという祈りでした、 というのです。面白いですね。土雛というのは、漆喰で型どった人形に色を塗って人形にしたものです。これまでに示したようなお雛さまは、大変高価なもので、お金持ちしか持てません でした。庶民には高嶺の花だったので、もっと安価な値段で手に入る土雛が庶民に流通したのです。華やかの美しさはありませんし、長い年月が経つと色が落ち てくる難点があるのですが、それなりの独特の風情があります。


土雛

  下は、比較的最近の土雛です。まだ色鮮やかです。しかし、時代によって題材が変わっているのですね。

最近の土雛

  足助街並みが美しいと話しましたが、下の写真の家も立派です。白壁と黒い壁が調和が取れていてきれいですね。本屋さんなんて、洒落ていますね。

街並みが美しい

  雛人形を見ていると、その周囲にきれいな吊るし飾りが付けられていることが多いのです。それがお雛さまを美しく飾っているのですね。その吊るし飾りが民家の壁にショウウィンドウのようにして飾られていました。丸い玉の飾りがきれいです。
  同じ頃、九州の友人が柳川の「さげもんひなまつり」に行ってきたと、メールをくれました。「さげもん?」と思って尋ねたら、足助のつるし飾りと同様のものをこのように言うのだそうで、ついでに柳川の「さげもんの由来」を紹介してくれました。女の子の誕生を祝う気持ちは一緒ですが、その一つ一つの飾り物に、健やかで可愛く豊かに長寿でなどを願う由来があることが分かりました。ネットで見ましたが、柳川のさげもんひなまつりも見事です。

吊るし飾りの展示

  町並みの風景をお見せしましょう。足助の往時の栄えた様子が目に浮かびます。大勢の人々がこの街を歩いていたのですね。
町並みの風景2

  下も同じです。歩き疲れたので、二三軒先のお店で抹茶を飲ませてくれる喫茶店があったのでそこに入って一休みしました。

町並みの風景3



  最後は「三州足助屋敷」に行って見学したのですが、そこは以前詳しく報告したことがありますので省略しますが、そこは江戸時代の昔に行われていた鍛冶屋、畳打ち、和傘作り、民具制作、竹細工、藍染などを展示すると同時に実演してくれるのです。じっくり見ると一日中かかるくらい、面白いのです。現代人が忘れてしまった昔の人々の暮らしぶりがよく分かります。一度訪ねてみることをお勧めします。
  下は、古民家の前の植え込みみ立っていた、竹馬に乗った市松人形です。面白いので写しました。


竹馬の市松人形

  わずか二日間でしたが、お姉さんたちに大変喜んでもらえました。ボク達も楽しいひと時でした!




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お雛さまの足助を歩きました!内裏雛、市松人形、足助の街並みがきれい!

   お姉さんたちを案内して、新城の中を案内しました。先回は、石雲寺でしたが、そのハイライトのセツブンソウをご紹介できませんでした。今回はそれをアップします。始めは、もう花は終わってしまったのかと思うくらい、花は見かけなかったのですが、奥の方に咲いていました。出会えて嬉しかったです。あまり目立つ花ではなかったので探すのが難しかったのですが、目が慣れてくると次第に見つかってきます。不思議なものですね。
  花よりも葉が特徴があります。3~5裂する葉が茎の先端につき、それが上から下に向かって垂れるようになっているのです。その形が見分け方のポイントだと思います。花はその先端に白い花を付けます。地味な花ですのでなかなか見分けられません。遠くだったので、望遠レンズで下の写真くらいに大きく撮影できたのは、この写真しかありません。下の写真は、その群生しているところを写したものですが、その感じが出ていません。


セツブンソウが咲いていた1

セツブンソウ咲いていた2

   さて、石雲寺から鳳来寺に向かったのですが、これまでに何度も紹介していますのでそこを省略して、湯谷温泉の日帰り温泉、ゆうゆうアリーナに行き、旅の疲れを癒そうと思っていたのですが、現場についたら「本日臨時休業」の看板がかかっていました。事前にネットでホームページを見ていたのに、臨時休業の案内はなかったのです。悔しい思いをしましたが、仕方がありません。そのまま作手の我が家に行き、姉さん達に休んでいただきました。

  翌日は、「中馬のおひなさまin足助」という催しに、足助に行きました。連れ合いを含めて姉さん達は女性ですので、大そう興味深かったようです。ボクら男は、おひなさまというと女の子の好むものという感じで、あまり興味はなかったのですが。見学してみて、その美しさや風情が少しわかった気がします。
 足助という街は、江戸時代の昔は、西尾で生産される塩を信州へ運ぶの中継地点として栄えた街でした。昔、海がない信州では塩は貴重品であり、それを調達するのに一番近くの西尾・吉良の塩は欠かせないものだったのです。その道は中馬街道と言われ、西尾や岡崎の物産を山の中の信州に運ぶ大動脈だったのです。ですから足助は、塩の売買をする商業都市で、荷揚げされた塩などの貴重品を貯蔵する蔵が林立していました。それらの商品を火災から守るために、真っ白い漆喰の分厚い壁の土蔵が今でも立ち並んでいるのです。それが足助の古風な町並みとして美しいので、観光スポットにもなっているのです。
  というわけで、繁栄を極めた家々に、子供が生まれるとそのお祝いに豪勢なお雛さまが各家に残されており、そのままでは忘れられ廃れてしまうのではと、街の人々が街起こしのために、人々に展示しようということになったのです。もちろん、行政が仲立ちになり、各家に協力していただいて、3月はじめのお節句の期間、そのお雛さまを玄関付近に展示して、観光客を呼び集めようということになりました。街の一大イベントになって今日にいたりました。
  下は、街の中に張り出されていた「足助のお雛様のポスター」です。旧足助町の街起こしの一環として20年ほど前から行われてきた、街を上げての一大イベントです。このポスターもきれいですね。おそらく名だたるポスターのプロが描いたものと思われます。

足助お雛さまポスター

  最初の展示場で出会ったのが下の写真の内裏雛です。女の子の好むものとして、まともに鑑賞したことはなかったのですが、よく見るととても美しいのです。こんな可愛い人形だったら、女の子達が憧れるのは分かる気がします。ひな壇の一番上に座っているのが内裏雛ですね。内裏、すなわち御殿の内のいます天皇夫妻です。高貴なお方として敬われていたのですね。

内裏雛 

  その下の方には女官や調度品が置かれています。それもまた、見事に飾りが施されていて美しいのです。

ひな壇の調度

  おそらく、こんな人形は相当に高価なものだったに違いありません。そのそばに、市松人形が飾られていました。これも驚くほどきれいなのです。

市松人形がきれい

  先ほど言った足助の町並みです。白い漆喰の土蔵が立ち並んでいて、商家が軒を連ねています。もっとも足助らしい町並みの風景です。お雛さまを展示しているのは、それらの商家です。

足助の街並み1

  下は、今も営業している旅館、昔風に言えば旅籠です。ここにもほ雛さまを展示していました。

足助の街並み2

  ここにも見事な内裏雛が飾られていました。

内裏雛2

  ある家に入ったら、下の写真のようなキューピーさんの市松人形が飾られていました。可愛いのですが、これはあまりに現代的ですね。

キューピーの市松人形

  下も、見事な市松人形ですね。きれいです。

市松人形2

  この続きは、次回に回しましょう。

長篠のぼり祭りはすごい賑わい! 火縄銃、和太鼓の実演は迫力!

  「やまびこの丘」のホテルで宿泊したのですが、晩の食事はバーベキュー!久しぶりに肉をふんだんに食べました。食べ過ぎたのかもしれません。そのホテルで偶然宣伝のチラシを見て、息子夫婦と孫と一緒に、「長篠合戦のぼり祭り」がその日にあることを知って、それを見に行きました。新城市の長篠は戦国時代にあった「長篠の合戦」の舞台となったところ。長篠城にたてこもった奥平家の将兵たちがここに篭城、武田軍に包囲されて落ちそうになった時、援軍に駆けつけた徳川と織田連合軍が鉄砲隊を先陣に当時最強と言われた武田の騎馬軍団を打ち破って勝利に導いた、歴史的な事件があったのです。戦争で鉄砲(火縄銃)が本格的に使われた初めての戦で、日本の戦争の歴史を書き換えたと言われます。まさにその長篠城の跡地の広場で祭りの行事が行われていました。
  驚いたのは、集まった人の多さです。久しぶりにたくさんの人が集まる祭りの賑わいを見ました。広場で行われる火縄銃の実演を見ようと詰めかけた人々を写したのが、下の写真です。


長篠合戦のぼり祭り

  火縄銃の実演が行われたクライマックスの場面が下の写真です。すごい迫力でした。

火縄銃の実演

  その後は、覇城太鼓という和太鼓のグループが勇壮な演奏を披露してくれました。初めは女性のグループがリズムを合わせて太鼓を叩くのですが、その演奏は見事でした。

女性の和太鼓グループ

  その後は、仮面をつけた男性のグループが踊りながら一糸乱れすに太鼓を叩くのです。それも素敵でした。

仮面の和太鼓グループ

  まさに祭り、屋台のお店が立ち並び、たくさんの老若男女がいっぱいでした。

祭りの賑わい

  そして、そのうちに武者行列の一行が到着、鎧甲冑の武者やお姫様が行列してくるのです。楽しい一幕ですね。、

戦国武者行列

  久しぶりに祭りの賑わいを楽しみました。たまには良いものですね。




石橋城址から善福寺への散歩道! 歴史の小道を歩きました!

  木曜日の散歩コースは、手作り村に車を止め、すぐ前の石橋城址から善福寺にいたる「歴史の散歩道」です。
  石橋城址は手作り村(作手の道の駅)のすぐ前にあります。下の看板によれば、昔はここにお城があったようですね。いきさつが書かれているので判り易いですが、作手にはたくさんの城址があって、それぞれのいわれを覚え切れません。今はお寺になっています。


石橋城址看板が

  境内に入りますと、ひときわ目立つ枝振りのよいクロマツがあります。見事というほかありません。

見事な枝ぶり!

  また、下の写真のような立派な鐘突き堂があります。

鐘突き堂が

  奥には、代々の城主の墓が築かれており、古い時代からの墓石の変遷が分かって面白いですね。

代々のお墓が

  さてそこから、田んぼや畑を通り過ぎて善福寺の近くに来ました。この地域は、シャクナゲがたくさん植えられていて、その季節になるとわれわれの眼を楽しませてくれます。下はそのつぼみが大きくなって着たところを写した写真です。開花が待たれますね。

シャクナゲのつぼみが

  その近くに、アセビの花が咲いていました(下の写真)。アセビは白い花が多いのですが、このアセビはピンク色の花を咲かせているのです。珍しいですね。とてもきれいです。

ピンク色のアセビの花は

  善福寺の駐車場には、なんと! ハクバイ(白梅)が咲き始めていました。わが庭にも梅があるのですが、なかなか咲いてくれません。ここは早くも梅が咲いているのは、個体の個性なのか、日当たりの違いなのか、分かりません。

ハクバイが咲き始め

ハクバイ咲き始め2

  善福寺はかなり古いお寺で、由緒ある寺だそうです。山門には、運慶作と言われる仁王の木像がにらみをきかせています。運慶が彫ったのかどうか、?がつきますが、ほんとだとしたらすごいことですね。

善福寺表札

  その庭先に、オモトが赤い実を付けていました。オモトは我が庭にも植えてあるのですが、実を付けたことがないので、その存在すら忘れていました。おおきな常緑の葉がきれいですね。

オモトに赤い実が

  アセビの開花、梅の開花と、春そのものがやってきた感じです。この日、初めてウグイスの鳴き声を聞きました。ウグイスの初鳴きです。春になったのですね。まだ泣き声が鮮明ではありませんが、やはり、この声を聞くと感動します。  

  この続きは、次回にしましょう。



 




 

岡崎の藤川宿を歩く! 昔の宿場町は風情がありますね!

藤川宿の本陣跡

     岡崎の蕎麦屋さん、フーさん、引越しして藤川に移ったのです。心を入れ替えて、歩くこと戸と同時に、週に一度、フーさんの足裏マッサージに通うこととなり、新築中の彼の家に行きました。岡崎の藤川といえば、江戸時代に東海道の藤川宿として有名なところです。足裏マッサージの施術を受けた後、藤川宿を散歩しました。今日は、その散歩の様子をお話しましょう。
  フーさんのところは、名鉄藤川駅から徒歩5分程度の国道一号線の脇、駅のほうが旧東海道の町並みです。古めかしい建物があり、宿場町の風情が残っています。上は、本陣の跡、白壁と古めかしい風情のある建物がありました。


藤川小学校の桜

  藤川小学校には、ひときは大きなソメイヨシノが咲いていました。その前には神社があり、名前が分かりませんがすごく大きな巨木がそびえていました。その下のほうの地面が真っ赤になっているのが見えますね。

神社の巨木

  それがツバキだったのです。ツバキは、サザンカと違って、花がそのまま落ちますので、落ちた花で地面が真っ赤になるのです。樹木についている花もきれいですが、落ちた花もきれいですね。前の写真で巨木といいましたが、写真の幹の太さでもそれが分かりますね。椿の幹と比べると、雲泥の差があります。

落ちた椿の花

  一里塚の説明の看板がありました。昔、東海道など主要な街道沿いには、宿場に近づくとそれを知らせる一里塚があって、そこには目印となる大きな木が植えられていたそうです。大きな木というのは、多くの場合、エノキが植えられていたそうです。おそらく、大きくなると立派な枝振りとなるので、よく目立つので植えられたのでしょう。ここにはもうなくなっていましたが、・・・・。

一里塚

  そこから山のほうへ行く道に入りました。人工林が少ない雑木林が広がっていて、とても山に風情がありました。ヤマザクラのピンクの色がよく目立ちました。

雑木林の春

  道端にあったモモなのでしょうか、きれいなこんもりとした樹木にいっぱいの反を付けていました。白とピンクの花が同じ樹木から咲いているのも面白いと思いました。

白い桜

ピンクの桃?

  レンギョウも黄色い花を咲かせていました。今は、どこでもレンギョウが花盛りですね。

レンギョウの黄色い花

  山のほうに入ってしばらく行くと、おおきな住宅団地に行き当たりました。その中を散策していると、桜がきれいな場所がありました。まだ満開とはいえませんが、きれいでした。

住宅団地の桜

  歴史を感じさせる町というのは、なかなか良いものですね。また、ボクの探索の道が広がりました。



coppice(雑木林)

森楽、flutevioline

Author:森楽、flutevioline
退職後、都会生活ばかりだったボクにとって田舎の自然豊かな里山の生活は、新しい発見の連続で楽しい! 自然の写真が満載です! また、こんな老い生き方があることを示したみたい!

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