スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

松源院の境内は美しい! サクラとシャガの花が!

     先回、宝円寺のシダレザクラをお見せしましたが、そのサクラのしたが花園だったのです。いろいろの花が咲き乱れていました。名前が分からない花が多かったですが、気に入った花だけを写しました。下の黄色い花は何というのでしょうか。
お花畑1
  下はチューリップですが、今が盛りののでしょう、各地に美しい色を奏でています。色が多種多様ですね。
お花畑2
  下の真っ赤な花弁の花も美しいですね。名前は分かりません。
お花畑3
  道路を隔てた対岸に松源院があります。その境内のサクラが美しく咲いていました。
松源院のソメイヨシノ

サクラの花をアップ
  その花の下が花壇になっていて、シャガがいっぱい咲いていました。シャガは、アヤメ科アヤメ属の草本で、かなり古い時代に中国から渡来したと考えられています。アヤメの仲間らしく、花弁の模様がきれいですね。
松源院のシャガ
 松源院のたたずまいを写したのが下の写真です。
松源院の風景
 そこに観音菩薩の像が立っていました。銅像なのでしょうか、姿と共に銅の緑色が美しいですね。
松源院の観音様
 松源院の境内です。お寺らしい静かな風景です。
松源院





スポンサーサイト

本宮山の山麓、宝円寺のシダレザクラを見物!タブノキを始めて見ました。

     4月13日に久しぶりに山歩きをしようと思って、本宮山を目指しました。ずっと山を歩いていないのに、いきなりというのは体に無理がかかるといけないと思い、ふれあい交流館におられた近所の方にお聞きしたところ、30分ほど歩けば桜のきれいなお寺があるとっ聞いて、そこに行くことにして歩きました。下の案内図によると、宝円寺と松源院です。
松源院地図
  途中で、美しい景色に出会いました。下の写真のように、田んぼの中に、見事なピンクの花を付けた樹木と、桜のはなが咲いていて、背後に本宮山(右手奥の高い山が本宮山です)が見えるのです。見にくいですが、手前の田んぼに黄色い花が一面に咲いていました。タンポポです。あまりの美しさに感嘆の声を上げました。
本宮山と花
  すぐ近くに、クサイチゴが群生していて、白い花を付けた居ました。
クサイチゴの花
  途中に常緑のおおきな樹冠をもつ木(高さが10mくらい)がありました。下の写真は、黄色い花のようなものがいっぱい付いていたのです。残念ながら見たことがない樹木で、種名は分かりませんでした。しかし、つい最近行ったところで、同じ木を見ました。そこにはネームプレートがかけてあり、タブノキと分かりました。ウィキペディアによると「花期は4 - 6月。黄緑色であまり目立たない花を咲かせる。8 - 9月ごろ球形で黒い果実が熟す。果実は直径1センチメートルほどで、同じクスノキ科のアボカドに近い味がする。日本では東北地方から九州・沖縄の森林に分布し、とくに海岸近くに多い。照葉樹林の代表的樹種のひとつで、各地の神社の「鎮守の森」によく大木として育っている。」名前は聞いていましたが、間近に見るのは初めてです。こんな花を付けるのですね。同定出来てうれしいです。
この木は何の木?

左の花をアップ
  下は、アケビの花ですが、すぐ近くの径沿いにたくさん花を付けていました。白い丸い花弁とそな中の赤紫のものが可愛いですね。
アケビの花が
  一面、菜の花畑がありました。真正面に本宮山のどっしりとした山容が見えて、いい景色でした。山の斜面にぽちぽちと白いものが見えますが、それはヤマザクラです。
菜の花と本宮山
  近くの農作業しているご婦人に道を聞いたりこの地域のことを話をしていたのですが、そこが梅林の一角で、下の写真のように、もう梅の実がなり始めていました。
小さな梅の実
 下が方広寺のシダレザクラです。見事な枝ぶりの桜の花が青空に映えて美しいです。天然記念物だそうで、ボクらの他に何人かの人が見物に来ていました。
お寺のシダレザクラ




庭の紅梅が満開! 裏庭にカケスが!アップで写せて感激!

  この冬はとくに寒くて、1月と2月には作手から岡崎に住いの拠点を移していました。大分暖かくなった4月に入ってから作手に戻りました。
 庭に着いた途端、目に入ったのがコウバイでした。赤い花が目に染みるようでした。

庭の紅梅満開

庭の紅梅をアップ
  もう一つ、出迎えてくれたのが、ロウバイです。別の場所で見たロウバイの花の美しさと甘い香りが忘れられず、友達に話したら苗を下さって庭に植えておいたのです。もう6年ほど経っているのですが、なかなか花が咲かなかったのです。今年ようやく、花がいくつか咲いたのです。嬉しかったです。美しいですね。
庭のロウバイが咲いた
  ちょっと驚きでした。裏庭のアオキの木にカケスが止まっていたのです。警戒心が強い鳥で、なかなか写させてくれませんでした。飛ぶスピードも速く、姿をみても撮影が難しく、今までほとんど写したことがなかったのです。それが目の前に止まっていたのですから、驚いたというわけです。家の中から窓越しに写したので、逃げられることがなかったのでしょう。こんな近くで姿を見るのは初めてです。感激!! 羽の色がきれいですね。飛ぶ瞬間は、羽の色がもっときれいなのです。頭の模様も面白いです。
裏庭にカケスが

カケスがきれい
  裏山のシロモジが花を付けていました。すべての枝先に黄色い花を付けますので、夜空の星のようです。
シロモジ開花が
  ジンチョウゲも満開でした。数年前、友達が下さった苗が育って、いっぱい花を付けるようになりました。ボクは鼻がよく効かないので、その香りを十分に楽しむことができません。甘い香りがするようなのですが、僕には・・・・。
ジンチョウゲ満開
  今、野山のアセビに花が咲いていて、とてもきれいです。白い壷型の清楚な花です。常緑低木で、雑木林のどこにでも生えている木でありふれたものすが、この季節は美しいですね。
アセビの花がきれい


春たけなわ! 梅、ヒサカキ、レンギョウ、ユキヤナギの花、カナメモチの赤い新芽がきれい!

  まさに、春たけなわです。春の草花が賑わいを見せています。

    高さが10m近くある大きな梅の木がありました。こんな大きな梅の木は見たことがありません。淡いピンク色の花が満開でした。
梅の巨木が
  ヒサカキにびっしりと白い小さな花が咲いていました。至る所に生えている常緑低木です。秋には真っ黒の小さな実が枝下にびっしりと付きますね。
ヒサカキの花は
  下の写真のように、カナメモチの赤い新芽がきれいでした。新芽がきれいなのでよく家の垣根などに植えられていますね。
カナメモチの赤い新芽
  レンギョウの黄色い花が咲き始めました。ブッシュのように枝が錯綜して、その枝にいっぱい花を付けるので、黄色い壁のようになります。
レンギョウ満開
  下は、ハナニラの花です。一面に咲くときれいなのです。
ハナニラがきれい
  前のブログで、道端に植えられたユキヤナギをご紹介しましたが、花が咲き始めました。白一色になりました。でも、まだたくさんつぼみがありますので、満開とはいえません。
ユキヤナギ開花

ユキヤナギの花を
  下は、ヒメオドリコソウの花です。花はホトケノザとよく似ていますが、これは塔のように立っていて、葉が下に向いています。それが踊り子のスカートのようなのでその名が付いたと聞いています。春の野原に咲く雑草ですね。
ヒメオドリコソウがいっぱい








春の花がきれいです! ミモザ、カワズザクラ、カンアオイ、コブシ、マンサク!

    春たけなわとなってきました。春の花がきれいです! 下は、あるマンションの前に一本だけ植えられていたカワズザクラの花です。ソメイヨシノはちらほら咲く程度ですが、これは満開です。美しいですね。
カワズザクラの花がきれい  
  ボクのかかりつけの内科の医院の庭に、見事なミモザの花が咲いていました。せいぜい数mの高さの低木だと思っていたのです。しかし、電柱の高さからお分かりになると思いますが、こんなに大きな木になるなんて知りませんでした。そして枝中に黄色い花がびっしりと付くのです。その美しさに圧倒されました。
ミモザ満開
  それをアップしたのが下の写真です。小さい花がいっぱいで、背後の葉が見えないくらいですね。
ミモザの花をアップ
  カンアオイが道端に咲いていました。何と美しい優美な花なのでしょうか。淡い紫色の花弁の色と中央付近の模様が美しいですね。
カンアオイの優雅な花
  民家の庭にコブシの花が咲き始めました。先回のブログでは、まだつぼみでしたが。白い大きなはながきれいです。奥三河の山をドライブしていた時、山の斜面にとことどころに生えていたコブシの花を印象的に覚えています。
コブシの白い花が
  ハクモクレンと非常によく似ていますが、その違いは、花弁が開くのがコブシでハクモクレンは花弁が開かないのだそうです。
コブシの花をアップして
  下も、植え込みに植えられていたマンサクの花です。まだ咲いていました。遅咲きの花なのかもしれません。これも美しい花ですね。
マンサクの黄色い花は
  クリスマスローズの花がきれいでした。白や淡いピンクの色の花弁がきれいですね。
クリスマスローズがきれい
  下は、シダレヤナギが新芽を出したところでしょう。白秋だったか、「やなぎ青める」という詩がありましたね。まさに、「青める」のです。
シダレヤナギが青める
  シキミの花が咲いていました。こんなに早く咲くのに驚いています。
シキミの花が



サンシュユ、白梅、紅梅、サクラソウ、カワヅザクラの花がきれい!

  下は、ある民家の庭に植えられていたサンシュユの花です。葉が出る前に黄色い花が枝にいっぱい咲きますので、黄色一色になるのです。最初に開花を見た時、その美しさに感動したことを覚えています。美しい花ので、よく民家の庭に植えられていますね。
サンシュユがきれいです
 下は、もう少しアップして写した写真ですが、若い枝が赤い色をしているのもきれいですね。
サンシュユの黄色い花が
 さらに近づいてアップすると、下のような写真になります。小さな黄色い花の集合のようです。
サンシュユの花をアップ
  今、梅の花が各地に咲き、満開になっています。下は、その白梅ですが、真ん中の黄色いオシベ・メシベと白い花弁が見事に調和しています。
白梅の花が
  梅にはいろいろの種類があるようで、下は紅梅です。同じ種とは思えないほど、色が深紅なのですね。
色が濃い紅梅
  道端に、サクラソウの花が咲いていました。その色の美しさに感動しました。

サクラソウがきれい
  道端の草むらに、スズメの大群が餌をついばんでいました。スズメは群れを成して行動する習性がありますが、こんなに密集しているところを写せたのは初めてです
スズメの群れが
  今は、桜のシーズンに入ろうとしている季節ですが、桜にもたくさんの種類があって、ソメイヨシノよりも早く咲くカワズザクラが満開です。真冬にもさくシキザクラなど、花の季節感覚が狂ってしまいますね。
カワズザクラの花が満開
  近所を歩いていたら、下の写真のような、細い小枝がすべて真っ赤な色をしている樹木に出会いました。ボクは見たこともない植物に出会って、ちょっと驚きでした。残念ながら、この樹種は分かりません。葉がついたら分かるかもしれません。どなたかご教示ください。
この赤い木は何?

赤い木の正体は?






春の気配がいっぱいです! 雑草の花がきれいです!

     下の樹木の木肌の写真を見て、何という種が分かりますか? 木肌にぼちぼちと突起がありますが、それは刺が退化して刺がなくなり、突起だけが残ったのです。この樹木の若い枝には鋭い刺があります。カラスザンショウです。サンショウの仲間の内では最も大きくなる樹木です。サンショウ、イヌザンショウがこの仲間ですが、サンショウのように利用価値はないと言う意味でイヌが用いられ、カラスは有用ではない大きな木という意味だそうです。名前の付け方も面白いですね。 

カラスザンショウの木肌
  下は、コマツナギの鞘です。春にピンクの美しい花を付けるマメ科の落葉低木ですが、マメ科らしく鞘の中にたくさんのタネを入れているのですね。馬(駒)をつないでも折れない、弾力性のある樹木であることから、その名が付いたそうです。

コマツナギの鞘
  田んぼが広がる農道を歩いていたら、道端に長距離にわたってユキヤナギが植えられていました。つぼみがいっぱい付いていましたが、ちらほらと花が付き始めていました。花が満開になると、一面白い花街道となります。まさに雪のようなので、その名が付けられたのでしょう。公園など各地に植えられていますね。満開になる日が楽しみです。
ユキヤナギの並木
  下は、ちらほら咲き始めた花を写したものです。
咲き始めたユキヤナギ
  ユキヤナギが植えられている足元に、びっしりと赤い葉の植物が覆っていました。下の写真がそれです。何という植物か、分かりません。
赤い草は何だろう
 そこに、太いツクシが一本だけ生えていました。春なのですね。
ツクシが出始めた
 今、各地にホトケノザがいっぱい生え、草地には一面に広がっています。その花をアップで写したのが下の写真です。雑草と言えども、花は美しいですね。
ホトケノザがきれいに
 下はナズナ、別名ぺんぺん草です。これも雑草ですが、白い花がきれいですね。茎の下の方についている三角形の者は種を入れている外皮ですが、手で降るとそれらがぶつかるときにぺんぺんと音を出すのでその名が付いたと言われます。
ナズナが群生し
  オオイヌノフグリの花がきれいでした。淡い紫色の花が一面に咲く光景は目を楽しませてくれますね。でも不名誉な名前を付けられて、可哀想ですね。
オオイヌノフグリが一面に
  民家の庭に、コブシがつぼみが膨らんでしました。今にも開花しそうです。美しい白い花の開花が待たれます。
コブシのつぼみが




ダイサギ、カワセミを写しました!キヅタ、ハンノキの雄花、マンサクの花、センダンの実を!

   農遊館周辺を散歩した時、青木川でダイサギを見ました。美しい姿ですね。ダイサギとチュウサギは区別するのがとても難しいのです。ダイサギはチュウサギよりも体が大きいというのですが、野外で単独に見ると大きさが比較できません。ネットで調べたところ、ようやくその違いが分かりました。くちばしから目の下に伸びている黒っぽい筋が目の後ろまで伸びているのがダイサギで、伸びていないのがチュウサギということです。下の写真ではそこまで細かく見れませんが、写真をアップしてみてそれが分かりました。
チュウサギか?
  同じところで、カワセミを見ました。なかなか出会うことが少ないので、ラッキーでした。小さい体ですので、普通では写真に点にしか写りません。望遠レンズで拡大してようやく姿が見えました。ブルーの羽が光をうけてきれいでした。
カワセミがきれい
  電線に泊まっていたのは、ムクドリでした。群れを成して飛ぶ習性があるのですね。
ムクドリが電線に
  岡崎の北の方にある「自然体験の森」を散歩しました。入り口付近に大きな木に巻き付いたキヅタにたくさんの実が付いている光景を見ました。常緑のツル植物で、10m以上も樹木に絡みついて伸びるとのこと。翌年の春には、実が黒く熟すのだそうです。
キヅタに実がたくさん

キヅタの実をアップ
  ハンノキが雄花をぶら下げていました。普通の樹木は湿地や池など水に浸かるような環境では根が腐ってしまい繁殖できないのですが、湿地でも繁殖できる数少ない種にハンノキがあるのですね。春先に雄花が花粉を出し、根元にある雌花に受粉するのだそうです。
ハンノキの雄花が
  下の写真のように、マンサクが美しい色の花を付けていました。マンサクというのは、「先ず咲く」という言葉が名前の由来だそうですが、今のような真冬に真っ先に反を付けるのですね。細長くて黄色い花弁が美しいです。下がアップした写真です。
マンサクの黄色い花が

マンサクの花をアップ
  センダンに実がいっぱい付いていました。春に薄紫色の花が咲きます。それが、上品で美しいのですね。羽状複葉の涼しげな葉とともに、ボクの大好きな花です。こんな白い実が付くなんて、知りませんでした。
センダンの実がいっぱい
  下は、ナワシログミの実を写したものです。常緑の低木で、公園などに植えられていて見かけます。春(4,5月)に実が赤く熟し美味しく食べられることから、苗代の季節に食べることができるのでその名が付いたといわれます。花は、白いラッパ状の形押しているのは、たのグミ属の植物と同じですね。葉は硬くて、裏が白いのがよく目立ちます。

ナワシログミに実が



春はそこまで!ロウバイ、ビワの花、クチナシの実、ホトケノザ!

      花とは春に咲くものという感覚から抜けきれないのですが、一年で最も寒い1月、2月に満開となる植物もあるのですね。 下の写真の植物は、ロウバイの花です。岡崎の家の周辺の住宅街の植え込みで見た植物です。淡い黄色の花をいっぱい付けて、甘い芳香を漂わせていました。
ロウバイの花がきれい1
 アップしたのが下の写真です。外側の黄色の花弁の中が赤いのです。そして中心のメシベでしょうか、それが黄色なのです。実に美しい花ですね。つぼみが丸くてかわいいです。
ロウバイの花がきれい2
  下の写真の赤いものは、クチナシの実です。まるで赤い花が咲いたように見えますね。でも、実なのです。
クチナシの実がいっぱい
  下の写真のように、赤い実は面白い形をしています。玉の上に耳のような形のヒラヒラが付いているのですね。玉の中にいっぱい種を詰め込んでいるのでしょう。
クチナシの実がきれい
  冬に咲く花はロウバイばかりではありません。下の写真のビワの木の花もそうです。果物のビワですね。今頃咲くなんて知りませんでした。ビワの葉や実は、消炎作用があって薬用に使われますね。ビワの葉を焼酎に付けて、それを少量お酒やお茶に入れて飲んだり、傷口や打撲した部分に充てるとすぐ直ると言います。我が家にもビワの木がありますので、その葉を使ってビワ焼酎を作って使っています。
ビワの花がいっぱい
 それをアップしたのが下の写真ですが、ゴチャゴチャしていて美しいとは言えない花ですね。
ビワの花をアップ
  岡崎の家の隣のブドウ畑に、ムクドリがたくさん群がっていました。全体に黒っぽい色をしていて、ジュルジュルと泣きます。カラスと同じように、姿と鳴き声が美しくないので、嫌われ者ですね。
二羽のムクドリが
  真冬のこんな季節に、ホトケノザはもう花を付けているのですね。もう、と言いましたが、図鑑の説明によると、真冬でも真夏でも花を付けると書いてありました。ピンク色の花がきれいです。葉のいろもあずき色なのですね。写真には、オオイヌノフグリの水色の花が見えています。これも早いですね。
ホトケノザの花が
  下は、スイセンの花です。これも、春の開花ではなく、こんな真冬に花を付けていました。
もうスイセンの花が



久しぶりに真冬の生き物たちを!センリョウ、ツワブキ、マサキの実、シモバシラの霜柱が!

  暮れからしばらく生き物の話をしてきませんでしたが、ようやく立春、春の気配を感じる季節となりました。散歩で野山や街を歩いていて生き物に出会うと、嬉しいものですね。
 さて、下は、岡崎の街を歩いていて、ハクセキレイを見たので写しました。尻尾を上下させて地表を歩き回る姿が可愛いのですね。

ハクセキレイがいた

  街中の住宅の植え込みの、センリョウに赤い実が生っていました。明瞭な鋸歯のある葉も特徴ですが、枝先の真っ赤な実がきれいですね。マンリョウも同じような赤い実が生りますが、葉の下や枝下に生ります。千両、万両とおめでたい名前ですので、縁起担ぎで飾りますね。ヒャクリョウという植物もあるそうです。

赤い実のセンリョウ

  同じ住宅地の別のお宅に、黄色い実を付けたセンリョウが植えられていました。キセンリョウと言うそうです。これもきれいですね。

黄色い実のキセンリョウが

  下は、ツワブキの花です。大きな丸い葉の中から延びだした茎の先に黄色い花が咲いて美しいのです。これもしばしば花壇などに植えられます。名前と姿からして、フキの仲間でしょう。秋の花と思い込んでいたのですが、こんな真冬にも花を付けるのですね。驚きです。

ツワブキの花が

  作手の我が家の庭のマサキに実が生りました。実は、秋から実はなっていたのですが、赤い殻が裂けて中から黄色い種がのぞいていたのです。その赤と黄色の配色が美しいのですね。

マサキの実が

  下は、ミツマタのつぼみです。面白い姿ですね。枝に垂れ下がる房状つぼみは白いのですね。春になると、その房の先端が裂けて黄色い花を付けるのです。それもまた、美しいので、その季節に生ったらご紹介しましょう。

ミツマタのつぼみが

  近所に住むHさんから「珍しいものを見たので持っていきます、森楽さんが興味を持ちそうですので…」という電話があって、それを持ってきてくださいました。シモバシラに霜柱がついている植木鉢が下の写真です。すでに午前8時を回っていましたので大分溶けてしまっており、早朝の起きた時は土の表面から10㎝くらいまで霜柱が付いていたそうです。シモバシラという草本は、冬に枯れると茎が導水管の役割を果たし、寒気で土が凍ると中の水分が枯れた茎を伝って登って霜柱が立つのだそうです。名前の由来もそのまま、ということです。
霜柱が立ったシモバシラ

 夏に花が咲いた時にHさん宅のお邪魔して拝見したことがあります。下の写真のように、美しい花でした。去年の9月26日に写しています。
シモバシラの花1

シモバシラ2


     下は、昔作った駐車場の屋根は檜皮(ひわだ)葺きなのですが、その檜皮についたキノコなのでしょうか、赤いものが屋根の一部分を覆っていました。苔類なのかもしれません。きれいですね。



屋根に着いた赤い苔

 旧守義小学校の跡地を歩いていたら、下の写真の実が落ちていました。ちょうどピンポン玉を少し小さくしたような球です。昔ここにプラタナスの大きな木が茂っていたことを思い出し、プラタナス(スズカケノキ)の実ではないかと思い、図鑑を調べたらその通りでした。「すずかけ」という名は、鈴のような実が生ることがその由来だと聞きました。なるほど、と思いました。表面がトゲトゲになっていますが、それは種で形が崩れると風て飛び散るのだそうです。



スズカケノキの実が

時代と共に変わる自然と森林

時代と共に変わる自然と森林

 

古代には日本にも強大な権力が発生し、権力を象徴する巨大な建築物が作られるようになりました。平城京や平安京などの都が作られましたが、そこには豪華絢爛たる寺社が多数建築されました。それには、大量の建築材料が必要になります。京都奥地の山にヒノキの自生地がありますが、その付近の大径木はほとんどが寺社の建立のために伐採されつくされたと言われます。そこで、京都の近くに、吉野林業のような日本独自の造林技術が発達したと言います。戦国時代にも、巨大がお城を建てるのに大量の材木が必要になり、昔と同様の山林の伐採が行われました。

時代が変わって、江戸時代の山陰地方では、武器や農具を作る材料となる鉄の生産のために、鑪(たたら)製鉄が行われました。鉄分を含む風化した花崗岩を樋に流して比重差を利用して、鉄の選鉱を行うのです。その鉄分を溶鉱炉で溶かして刀剣や農具を作るのですが、そのための大量の木材を燃やして鉄を溶かしました。周囲の山の森林はことごとく伐採され、山が丸裸にされたと言います。鑪製鉄に伴い、山からの土砂の流出が激しくなり、鉱毒による作物被害が生じ、田んぼ土砂で埋まる被害が多発しました。そのため農民たちと製鉄業者たちとの争いが頻発し、一時は江戸訴訟にまで発展したことが知られています。今でいう公害裁判です。

同じ江戸時代の瀬戸内海沿岸では、塩の生産のために干拓地にたくさんの塩田が作られました。当時、塩は貴重品であったのです。干拓した低地に海水を入れ、藻に付着させた塩分を焼いて塩を取り出すのですね。焼いて製塩するために、周辺の山の木材が伐採され、燃料にされました。そのため山が丸裸になったと言います。当然、土砂災害が頻発して農民が苦しめられました。瀬戸内海沿岸での製塩の中心は赤穂藩でした。今でも新幹線で中国地方を旅すると、貧弱な森しか生育しない山が多いことに気づきます。現在にまで影響しているのです。一方、愛知県西尾近くの吉良藩も干拓地に塩田があり製塩が盛んにおこなわれ、矢作川の舟運を利用して信州などの山奥に塩を売って儲けていました。この地域の山も同様に、森林が伐採されたと思われます。赤穂浪士の討ち入りというのは、幕府の塩にかかる許認可の関する利権の両藩の争いがその原因なのです。

丸裸になった山には、自然に乾燥に強いアカマツが生えます。貧栄養の土壌でも、水分の少ないところでも育つアカマツは、荒れた山の代名詞のようになりました。荒れた山に広がる松林の松は、大部分がアカマツです。昔の村絵図や屏風絵などに描かれる山の風景画には、枝ぶりの良い松の絵が描かれていますが、それはかつての里山が荒れていたことを物語っています。そのような目で今の雑木林を見ると、松林が非常に多いことに気づきます。かつての荒れた松山の名残でしょう。

 昔は日本でも松茸(マツタケ)がたくさん採れたと言います。今では高級食材で、我々庶民の口にはなかなか入らなくなりました。今は中国産が大部分と聞きます。それは、日本の山では「落ち葉掻き」が絶えず行われていて、山は貧栄養の土壌になっていたためと言われます。昔の山にはアカマツの森が広がっており、その土壌が貧栄養であったために松茸がたくさん生えていたのですね。

このようにある地方では、産業のために山の樹木が伐採されるという時代もありましたが、それは限られた時代と地方の話で、全国的に森林の様相が変わってしまうことはありませんでした。しかし、あの太平洋戦争とその戦後は違いました。

 

戦後の住宅難と拡大造林の時代

 

戦争中は、国を挙げての戦争政策のために、軍事のために優先的に石油・石炭などの燃料が使われたので、民間の燃料が不足し、人々は山の樹木を伐採して薪にしました。それは全国に及びました。そのため、山が丸裸にされました。都市住民は、盗むようにして近隣の山に入って薪(たきぎ)を集めたと言います。農民はそれを売って生計の足しにしたとも聞いています。

戦後は、大部分の家屋が空襲で焼かれたために住宅が不足し、人々は住宅難に陥りました。それを解決するために、時の政府・大蔵省は、スギやヒノキなどの建築材料を増産するために、多額の補助金を付けるという仕方で全国的に造林を推し進めました。その政策を「拡大造林」政策と言います。1950年代の後半から60年代に全国的に、雑木林を伐採して金のなるスギ・ヒノキが植えられていきました。寒冷な信州や北海道地方ではカラマツが植えられました。

貧しい農民は、将来高値で売れるスギ・ヒノキに夢を託して、造林していきました。今、急峻な山の斜面に見事な美林が広がっているのを見ますが、こんな急斜面に植林したことに驚きを感じます。それは当時の農民の献身的な努力の結果でした。比較的裕福な農民は、補助金よりも雑木林の価値のある樹木を採るために雑木林を残しました。ですから、貧しい村ほど造林が広く行われ、人工林の面積率が高くなっています。ボクらの住んでいる作手村は貧しかったので人工林の面積率が高く、80数%にもなります。それに対して、岡崎は比較的裕福な地域でしたので、今でも雑木林の面積が広くなっています。

これは、全国的に行われた政策ですので、大規模な自然環境、とくに森林環境の変化をもたらしました。従来の里山の雑木林はどんどん伐採されて少なくなり、スギ・ヒノキの常緑針葉樹の森が広がっていったのです。現在はどこの山を見ても、人工林が多くてその中に雑木林がわずかに残っているといった風景が広がっています。一時代前の里山の疎林とは比べものにならないほどの変化です。

日本の造林方法は、スギやヒノキの苗を約12m間隔に密植し、ほぼ10年ごとに間伐し、成熟した材木を建材として売り出すのです。ところが、70年代に入り輸入の自由化が始まり、安い外国産の材木が入るようになって、日本産の木材は売れなくなりました。間伐する手間をかけられずに人工林が放置されているのが現状です。間伐材も、丸管を使った足場が普及して、建築現場では間伐材の丸太が使われなくなったことも大きく影響しています。間伐がなされず放置された人工林は、林床が暗くなって下生えも生えず、土壌の栄養不足でひょろひょろの木になってしまい、丸太にしても使い物にならないのですね。そのような森は根が十分に張らないため、大雨の時に斜面が崩れた土砂災害を引き起こすのです。そのような放置された人工林が至る所に広がっていることが防災上も大きな問題になっています。

スギは植えてから4050年くらい成長させて伐採し建材として販売するのが普通です。ヒノキは6080年くらいが伐期だと言われています。スギの方が、ヒノキに比べて成長が早いのですね。1960年前後に植えられた人工林は植えられてすでに6070年くらいの年月が経っていますので、スギもヒノキも伐期が来ています。それでも、安い外国産の材木に押されて、高値では売れないのです。様々な取り組みがなされていますが、日本の林業の低迷は、今もなお続いています。

スギやヒノキなどの針葉樹は、萌芽更新をしませんので、実が落ちて発芽するか、人間が苗木を育てて植えるかしなければ、再生することはありません。そこが人工林と雑木林の違いです。新たに人工林を育てようとしたら、樹木を伐採した後に苗木を植林するなどしなければなりません。それは大変な手間暇とお金と労力のかかる仕事です。昔は、村落の人々の家屋を作るのに必要な分しか植林しませんでしたので、里山林に占める人工林の面積はわずかでした。現在のように人工林が多くなったのは、今の時代だけの異常な現象と言ってよいと思います。

そのため、現在問題になっている花粉症は、拡大造林政策が原因と考えられます。もちろんそれだけではなく、都市化と共に花粉が風で飛び散りやすい乾燥した環境が増えたこと、そこにたくさんに人が住むようになったことも原因のひとつです。しかし、これほどスギやヒノキが増えてしまったのですから、花粉症の患者が増えるのは当然と言えばその通りです。春先、現在の山はスギの胞子がいっぱい付いて、スギの木全体が赤茶色になるほどです。胞子が飛び散る季節には、森に煙が昇るような光景を目にするほどです。スギ花粉の飛散が終わると、ヒノキ花粉の飛散が続きます。静岡県のある人は、自分が花粉症になったのは政府の拡大造林政策に原因があるとして裁判所に提訴したということを聞いたことがあります。その結果がどうなったか知りませんが、面白い裁判ですね。

 

高度経済成長は何をもたらしたか?

 

日本の高度経済成長は、1960年代から始まりました。その政策の基本は、鉄鋼や造船および石油化学など重化学工業を発展させ、それによってあらゆる産業分野の機械化を推進し、農作業にも農業機械を導入し、石油化学によって化学肥料を使うことで農業を近代化するとしました。重化学工業の発展にはエネルギーを石炭から石油に替えることが必要であり、農村の人口を都市の工場労働者として雇い入れ、閉山された炭鉱労働者も大都市の労働者として吸収されました。

この政策は、産業の大変革ばかりでなく、農村(里山)の生活も一変させました。エネルギー革命です。それまでは暖房はもっぱら薪に頼っていましたが、石油による暖房に切り替わりました。薪を山から伐採してくる必要がなくなりました。化学肥料が大量に普及するようになり、堆肥作りや山の落ち葉掻きをする必要がなくなりました。

里山の大きな変化は、炭焼きが途絶えたことです。薪や炭が必要なくなると、炭となる山の樹木の伐採が行われなくなります。薪として最も良質なのは、コナラやミズナラなどの落葉樹です。それらは、最も萌芽力が強く伐採してもすぐに回復する能力を持っていますので、暖温帯から冷温帯に多数生息するナラ林は著しく繁茂することになります。それらが伐採されなくなったので、現在の雑木林ではこれらの種の個体数が特に多くなっています。それは、萌芽力が強い種だからだと考えられます。

里山には人が入らなくなり、樹木の伐採や落ち葉掻きが行われなくなると、雑木林は腐栄養の土壌になって大きく繁茂するようになりました。それまでは約20年周期で樹木が伐採されて大きな樹木になることはなかったのに、森には大径木が育つようになりました。樹木の伐採が行われなくなり、そのまま放置されれば、樹木が繁茂し続け、そのうちに暖温帯地域では、森林の遷移のセオリー通りに常緑樹が優勢になってきます。それが数10年も続いてきたのです。

現在の雑木林の森は、おそらく日本の歴史始まって以来の著しく繁茂した森になっているのではないかと思います。森の遷移の観点からすれば、落葉樹林から常緑樹林へと移り変わりつつあるのが現状ではないかと思います。これは、ボクたちの住む地方だけの変化ではなく、西南日本全域に起こっている変化です。これまでに紹介してきた岡崎の山の森林は、ツブラジイやアラカシなどの高木が樹冠を占めつつあり、常緑化しつつある森の典型ではないかと思うのです。

 今後はどうなっていくのでしょうか?

常緑化の進行によって失われるのは、落葉樹の減少です。常緑樹の巨木の樹冠は太陽の光を遮り、陽樹である落葉樹の生育を著しく阻害します。落葉樹が育ちにくい環境になります。ということは、雑木林の山を彩るヤマザクラなどの各種の落葉樹が育ちにくくなることです。雑木林の春の花々の美しさが見られなくなり、秋の紅葉の季節にも落葉樹の紅葉・黄葉が見られなくなるということです。これは、ボクを含めて多くの日本人が自然の美しさを感じるその光景が見られなくなることを意味します。

ただでさえ、圧倒に多くなった人工林が山の大部分の面積を占め、雑木林が失われていく中で、同時に雑木林の常緑化が進行することによって、日本の自然の美しさも同時に失っていく将来に、ボクは危機感を感じています。このような傾向は、今後も続くでしょう。

それでは、100年後、200年後、500年後の日本の自然はどのようになるのか、推測してみることにしましょう。人工林がそのまま放置され続けられたとしますと、スギ・ヒノキの樹齢は一般的に500年くらいと言われています(屋久杉などは特例で2000年も)ので、そのくらいの年月が経つとほとんどが枯れ、再び落葉樹の雑木林になると考えられます。落葉樹林も300年もすれば立派な常緑樹林となり、遷移が完成しますので、縄文時代のような照葉樹林に代わるでしょう。

 これらの推定は、人間の手が加わらないで、現状が維持されるという条件での推論です。しかし、日本は火山国です。過去には大規模な火砕流を噴出する火山活動で九州全域の植物が死滅したこともありました。例えば阿蘇火山のカルデラが形成されたときの火砕流、あるいは鹿児島湾が形成された姶良カルデラ形成時の入戸火砕流は九州全域に及びましたし、北海道や東北のカルデラ火山が噴火した時も同様に、広範囲に及ぶ地域が火砕流に飲み込まれました。その地域では、すべての森が焼き払われ、同時に野生動物も死滅したことが知られています。そのようなことが起こる可能性は十分にあります。

 また、稲作の到来のように、外国から新しい様式の文化が突然やってきて、今までの生産体制が大規模に変革され、森林が消費され尽くされるようなことが起こる可能性は全くないとは言い切れません。あるいは、SFめいてきますが、異星人の到来の可能性はないでしょうか。


 いずれにせよ、人間が今後、どのように森に手を入れるようになるかが将来を決めることになるでしょう。しかし、少なくとも近い将来には、雑木林の美しさは失われていくことになることは確かなようです。悲しい推論ですね。

 思うに任せて、氷河時代から今日までの森林の変遷を駆け足で見てきました。気候変動に伴って森林が大きく変化してきたこと、農業革命によって森林の環境が大きく変わってきた歴史に驚きを感じます。これらの歴史を知って、ボク自身、今ある森の見方が大きく変わりました。

 これまでに長々と述べてきたことに、間違いもたくさんあると思います。それは素人に免じてお許しください。また、間違いを指摘していただけるとありがたいです。




 

森の歴史 その2

 

弥生時代の稲作農耕は大規模な自然改造だった!

 

 縄文時代から弥生時代への変化は、人間の営みの変化であると同時に自然環境の大規模な変化でもありました。コメを作るため平野の森林を伐採し、水を引き、開田することそのものが自然改造でした。山からの水を通す用水路を作り、水が得にくい地域ではため池が作られました。そうした用水路が平野に網の目のようにしかれ、いたるところに溜池が作られていきました。これらは、大規模な土木工事で、平野の自然は姿を変えていきました。こうして、人々の生活の中心が森林が生い茂る山から、平野へと移り変わったのです。

 弥生時代が始まってからこの稲作が日本の食糧生産の中心になり、なんと2000年を超える年月続いてきたのです。つい最近の高度経済成長の時代まで続いてきましたし、高度経済成長期に栄えたのは都市で、農村は稲作を中心とした農業が続いてきましたので、現代にまでそれが続いてと言ってよいと思います。この稲作農耕は自然環境の変化ばかりでなく、日本の経済や生活様式を大きく変えた、日本の全ての文化を包み込む変化の根源だったように思います。

 

「里山」の形成

 

用水路を作り、溜池を作るなどの土木工事は個々の農民では不可能でしたので、農民たちは共同で作業しました。そのためには田んぼの近くの山すそに集まって暮らすようになり、まとまった集落を作るようになりました。それは、土木工事ばかりでなく、用水の管理・補修などに細かい管理が求められました。水害対策なども必要になります。そのための寄り合いを頻繁に持つためにも、近くに住むことが必要だったのです。こうして稲作の行われた平野は、集落が点在した周囲に田んぼが広がり、溜池が各地に展開する田園風景へと変わりました。

しかし、その変化は平野だけの自然改造にとどまりませんでした。イネを作って豊かに実らせるためには、田んぼに肥料を入れなければなりません。そのため、田んぼの周辺の草を刈って堆肥を作って投入する、人糞や家畜の糞を腐熟させて投入しましたが、そればかりでなく、田んぼの周辺の山の落ち葉を堆肥に利用しました。「落ち葉掻き」と言って、稲作にとって欠かせない作業でした。それは農民にとっては重労働でした。さらには、脱穀した後に出るもみ殻を燃やして炭化させた燻炭を撒いてカリ肥料にしました。今でも収穫後の田んぼでは、燻炭を焼く煙が田んぼから立ち上がっている光景を見ます。

 日本の冬は寒いですので、暖房のために薪が必要でした。そのため、山に生えている樹木を伐採して薪にしました。縄文時代には山は常緑樹(照葉樹)に覆われていましたが、それらを伐採して薪にしました。集落周辺の山の斜面は、常緑樹が伐採された後は日の光が林床に届くようになり、陽樹である落葉樹が生えるようになりました。つまり、森の遷移が中断されたのです。落葉樹の大部分は根に養分を蓄えるので、伐採してもひこばえが出てすぐに枯れることはなく、ひこばえが大きく成長して再び森となるのです。現在、雑木林を歩くと、株立ちした樹木を多く見かけます。これは、落葉樹が伐採されてひこばえが成長した結果です。これを萌芽更新と言います。森林の再生です。こうして常緑樹から落葉樹の森が形成されました。これが、いわゆる雑木林です。

 農村集落では、周辺の雑木林の山で伐採地域を移動させながら定期的に皆伐し、萌芽更新による森林の回復を待って、大体20年くらいの周期で雑木林を伐採していました。時代が下がるとそれらの材木は薪ばかりでなく、炭焼きをして木炭を作り燃料にしました。昔は山の至る所に炭焼き場があり、炭焼き小屋がありました。江戸時代では、農家で炭を使うことはほとんどなく、炭を消費するのは都会の人々だったようです。しかしそれは、農家にとっては貴重な収入源でした。山の雑木林は、薪炭林だったのです。

農民は、冬の農閑期には山に薪(たきぎ)を拾いに行きました。強風が吹いた時などに落葉樹から小枝が大量に落ちます。実際に嵐の後に森に入ると小枝がたくさん落ちているのです。ですから、昔から強風が吹いているときは森には入らないことが言い伝えられています。その落ちた小枝を拾い集める作業をしたのです。日本の昔話の「おじいさんは山に芝刈りに」の世界です。囲炉裏(いろり)に小枝を燃やして煮炊きする光景を見たことがある人は多いと思います。先の述べた「落ち葉掻き」のように、農民は絶えず集落に隣接する山に入っていました。現代は、シカやイノシシが農作物を食い荒らす獣害が大問題になっていますが、昔は人が絶えず山に入っていましたので、野生の獣は人を畏れて里に近寄ることはほとんどなかったのです。

このように、薪や山の草が必要だったので、広い平野では山ではなくて平野でもかなり広い面積の森がありました。平地林です。昔は平野でも平地林が各所にありましたが、今は薪による暖房も肥料としての山の落ち葉をも必要がなくなって、平地林はほとんど姿を消しました。また、農家の屋根は茅葺(かやぶき)で、その材料を採るためにヨシやアシを河原や山にその場所を確保しました。それは萱場(かやば)と言います。村の周囲の山は河原には必ず萱場があったのです。

また、村には必ずと言ってよいほど、神社がありました。それは、五穀豊穣を家内安全を祈願し、一族の繁栄を祈る重要な施設でした。そこで村全体を見渡せる丘の上などに神社が建てられました。そこは、村を守ってくれる神様が住む場所として神聖なところでしたので、そこに生える樹木を伐採することはタブーでした。というわけで、里山林は落葉樹ばかりの疎林でしたが、神社の境内は常緑樹の森となっていたのです。いわゆる「鎮守の森」ですね。そこには」ツブラジイやアラカシ・クスノキなどの常緑の巨木が生い茂っていたのです。クスノキは、しばしばご神木と呼ばれ、寺社に巨木となっていることが多いですね。お寺の境内も神様が宿るところとして、樹木の伐採はほとんどなされませんでしたので、神社の森と同じでした。

 このように稲作と結びついて周辺の山まで利用され、雑木林も今のように著しく繁茂して見通しの悪い密林ではなく、遠くまで見通せるような明るい疎林であったのです。今とは全く違う雑木林であったのですね。昔の日本の農村は、この稲作農耕と結びついた自然に囲まれた世界を、「里山」と言ってきました。田んぼと集落が広がり、周囲の雑木林が一体となった風景が「里山」です。日本の原風景と言ってもよいでしょう。


 

日本文化は「里山文化」です!

 

突然ですが、ここで日本の和歌を引用します。

 

      「 奥山に 紅葉踏み分け鳴く鹿の 

声聞くときぞ 秋は悲しき 」

 

 上の和歌は有名な古今和歌集の歌ですね。平安時代の歌で、猿丸太夫の作です。ボクの大好きな和歌の一つです。平安時代も稲作の文化ですので、「里山」が人々の住んでいるところでした。この和歌の「奥山」というのは、「里山」と対になる言葉です。今述べたように、里山は絶えず人が入り込んでいる山でしたので、奥山というのはそれよりも奥にあって巨木になった森という意味で、鹿やイノシシが生息していた森という意味だと思います。「里山」には人を怖がって、鹿やイノシシは近ずくことはなかったのです。他の動物(サル、キツネ、タヌキなど)たちも同じです。ですから、現代の獣害の問題は、動物たちが悪いのではなく、人が山に入る機会が減ったために獣が元に戻ってきている結果です。

 「紅葉踏み分け」というのは、雑木林の晩秋に落葉した落ち葉をサクサクと音を立てて鹿が歩いている光景を表現したのでしょう。その音が聞こえてきそうですね。奥山ですので、立派な道があるわけでもなく、山の小道に落ちた色とりどりの美しい落ち葉を進む光景が目に浮かびます。雑木林の秋は、紅葉の美しさに輝く光景が思い浮かびますね。

鳴く鹿というのは、秋に発情期を迎えたオスの鹿は、メスを求めて鋭い声で鳴くのです。ボクは毎日のように山に入るので、秋になると鹿の鋭い求愛の鳴き声を聞きますが、その声は森中に響き渡るほど大きな声です。この詩人は、鳴く鹿の声を聴いて、都にいる妻や恋人を思う自分をなぞらえているのでしょう。「秋は悲しき」とは、夏が植物の活動の最盛期であり、秋は冬に向かって生命力が衰えていく時期です。侘しさを思わせる季節ですね。詩人の年齢は分かりませんが、人の命のはかなさを表現しているのではないかと思いますので、このように歌う詩人はかなりの年齢に達していたのではないかと推察します。

 以上のように、この詩人の歌は、里山の森の紅葉の美しさ、鹿の鳴き声などの情景描写の中に、詩人の悲しみの気持ちを投影した素晴らしい歌だと思います。和歌もそうですが、身近な自然を題材にすることが多いですね。その自然というのは、ほとんどが里山の自然です。里山の花鳥風月を題材にしています。そういう意味では、和歌は「里山文化」だと言ってよいと思います。

江戸時代に発展した俳句も同じです。とくに俳句は、「季語」を大切にしますが、季節に伴う自然・生活などを季語として俳句に取り入れるのですね。季語の大部分は里山の自然を反映しています。そういう意味では、和歌も俳句も「里山文化」と言ってよいでしょう。そういえば、日本画も里山文化と言えると思います。水墨画にしても、屏風絵にしても、掛け軸の絵にしても、浮世絵にしても、描かれる風物は花鳥風月を題材にしています。建築物も、欄間などの装飾に花鳥風月が描かれます。伝統的な農家の建築材料のほとんどは里山林を伐採して使いました。また、稲作に伴ってできる藁を使って畳を作り、草鞋(わらじ)や蓑(みの)、傘なども作りました。生活そのものが里山文化だったのですね。




森林の歴史、時代と共に森林も変わってきた!

 

森林の歴史とは?

 

ここでは、森の自然は現在と変わらない自然が続いていたのではなく、時代と共に変わったいくことの極く概略を述べます。詳しく述べたらきりがありませんので。

 

氷河期の気候と植生

  さて、世界的規模で見た時、地球には約200万年の間に10回の氷河時代と間氷期の繰り返し(約10万年周期)が起こったと言われます。ヨーロッパ大陸の北の方や北米大陸の北の方には、今の南極に匹敵する巨大な氷河(大陸氷床)が覆っていました。それほどに大規模な気候変動がありましたので、当然、森林も大規模に変動しました。地球全体が大規模な気候変動の影響を受けています。日本も例外ではありません。

2万年くらい前の氷期は、繰り返された最後の氷河期でありますので、最終氷期と言われます。その時代には、日本では平野にまで氷河が覆うことはありませんでしたが、日本全体が寒冷化して、高山には氷河が覆っていました。年平均気温が今より約9~10℃も低く、著しく寒冷であったのです。ですから、先の述べた森林限界は1500mも下がり、森林帯も全体に下がっていました。その時代は、平野の植物も寒冷に耐える樹種、トウヒやモミなどの針葉樹林、あるいはツンドラの草原が広がっていました。関東平野や濃尾平野がツンドラの草原だったなんて、信じられませんね。
  さらに驚くべきことは、海面が現在よりも120~140mくらい下がっていて、陸地がずっと広がっていたのです。氷河というのは氷ですので、それが陸上に巨大な堆積で堆積していたのですから、海の水が少なくなった結果、海面が低下したのです。120mの等深線をもとに陸地を描いてみますと、朝鮮半島語日本列島は、陸続きのようになりました(ただし狭い海峡は存在したようです)。日本は九州・四国は本州と陸続きでしたし、北海道とは狭い海峡がありましたが、日本列島とほぼ一続きになりました。東シナ海の大部分は陸地であり、中国の大河である揚子江も黄河も九州沖の東シナ海に注いでいました。海陸の分布が変わると、それに伴った陸上の気候も変わります。

 

新石器農耕文化の誕生と古代文明

その後、約1.5万年前頃から次第に気温が急激に上昇し、約1万年前にはほぼ現在のような気温状況になったと言われます(晩氷期)。それまでツンドラ草原であった地域に森林が拡大していきました。森林の中で鳥などを採るために弓矢が使われるようになった(矢じりがたくさん出土)時代です。

1万年前、人類の歴史では、旧石器時代から新石器時代に移り変わります。約1万年前に中近東地域(今のイスラエルを中心とした地域)で、小麦や大麦栽培を中心とする農耕文化が始まります(新石器農耕文化)。それまでの狩猟・採取の文化から農耕文化へと移り変わり、その結果人々が使う道具がそれまでの打製石器から磨製石器が作られるようになりました。そのような変化も、温暖化した気候の影響が原因でもあります。作物栽培が可能になるのは、気温が高くて湿潤な気候が必要です。農耕によって得られた食料は、それまでの不安定な狩猟・採取の時代には考えられないほど革命的な食糧革命をもたらしました。その農耕文化が、中近東地域から全世界に広まった行きました。

6000年くらい前から、いわゆる古代文明が起こります。古代エジプト文明、メソポタミア文明、インダス文明、古代中国文明です。それは、農耕文明によってもたらされた富によって築かれたのです。いずれも、ナイル川、チグリス・ユウフラテス川、インダス川、黄河など大河のほとりに、ほぼ同時期に誕生し、強大な国家権力が誕生しました。なぜ6000年くらい前なのでしょうか? のちに述べるヒプシサーマル期の温暖化が影響しています。

 

日本の縄文時代は?

 約1万年前後には、日本では縄文時代が始まります。正確には1.2万年くらい前から縄文草創期が始まります。それまでの打製石器から土器が使われるように変化したのです。食べ物を貯蔵したり煮炊きしたりするのに土器を使ったのですね。これは、日本独特の文化で、ヨーロッパでの土器の使用はずっと後のことです。このころの西南日本の大部分は、湿潤温暖な気候条件のもとに暖温帯の森林におおわれるようになりました。森林の木の実を食料にしていましたので、土器が必要となったのです。縄文人は、ほとんど森の中に住んでいたのです。縄文早期から中期の遺跡の、青森県に発見された三内丸山遺跡では、クリの栽培がおこなわれていたことが明らかにされています。そこは日本列島の北の方ですので、おそらく冷温帯の落葉広葉樹林の森であったと推定されています。

その後、約6000年前をピークに今よりも平均気温が23℃ほど高くなり、温暖な時期が訪れます(縄文時代の前期から中期にかけての時代)。ヒプシサーマル期と呼ばれています。その当時は、常緑広葉樹林(照葉樹林)が広がっていました。縄文人は、常緑の巨木、ツブラジイの木の実(椎の実)を食料にしていたことが明らかにされています。

 

稲作農耕文化の到来(弥生時代)

 約2300年前頃に、大陸から稲作文化が到来し、いわゆる弥生時代が始まります。森林の中に暮らしていた人々は、稲作に必要な水が得られる平野の土地に開田し始めました。平野はそれまで照葉樹林の森に覆われていましたが、それらを伐採し、川から水を引いて田んぼを作っていったのです。平野の大部分が水田化したのにどのくらいの時間がかかったかは知りませんが、途方もない労力と時間をかけたと推定されます。とにかく、水のかかる平野の土地は、ほとんどの森林は伐採された開田されました。この開田によって定期的にコメが入手できるようになり、それまでの狩猟・採取に頼っていた人々の不安定な食生活は一変し、安定した食料が得られるようになったのです。それは革命的な生活の変化でした。そこに古代の権力が発生したのです。

 

 というわけで、縄文時代から弥生時代への変化は、自然の森林をも大規模に変化させました。人類の技術の進歩とともに、自然(森林)もおおきく姿を変えていったのです。

 さて、その後はどのように変化したのでしょうか? それは次回に述べることにしましょう。


日本の森林帯について

 

日本の森林帯

日本の国土は南北に細長く、高い山々もあり、それらの地理的(気候的)な要因で、森林の様相は地域によって大きく異なります。中部地方は、標高が高いので、標高の低いところから高い方へと気温が低下するために、森林の様相が垂直的に変化していきます。それを森林帯と言いますが、その名称はいろいろあって、統一した名前はありません。

生態学者の吉良竜夫さんが提唱した、植生の変化と気温との相関関係を表すための指標として、暖かさの指数および寒さの指数があります。あわせて温量指数とも呼ばれます。一般的に、植物の生育には月平均気温で摂氏5度以上が必要とされます。このことから、温帯における植生の分布には、それより高温になる期間とその温度の高さがどの程度になるかが大きく影響すると考えられるので、それを定量化することを試みたものです。大変優れた研究で、生態学の基本的知識とされています。

具体的には、ある地域の各月の平均気温を取り、月平均気温5度を基準として、各月の平均気温の5度との差を累積します。平均気温が5度より高い月の累積が暖かさの指数であり、5度より低い月の累積が寒さの指数です(5度以上と5度以下を相殺するのではなく、別々に累積する)。

吉良氏は、亜熱帯から高山まで、それぞれの樹種がどの高度に分布するかを調査し、植生が急激に変わる境界を境に植生帯を設定し、それと音量指数との関係を調べたのです。吉良氏に分類による植生帯別に音量指数を示すと下のようになります。

熱帯多雨林  暖かさの指数240以上

亜熱帯多雨林  暖かさの指数180240

照葉樹林  暖かさの指数18085かつ寒さの指数10(または15)以下

中間温帯林  暖かさの指数18085かつ寒さの指数10(または15)以上

落葉広葉樹林  暖かさの指数8545

針広混交林(北海道)  暖かさの指数6045

亜高山帯針葉樹林  暖かさの指数4515

高山帯  暖かさの指数15以下

なお、本来は降水量の大小も植生と大きな関係があるはずですが、日本ではどこでも充分な降水量があるため、条件の差としては意味をもたないと考えられます。

吉良氏の森林帯区分は、例えば落葉広葉樹林帯と中間温帯林を区別していますが、その区別は必要ないとする研究者もいて冷温帯とまとめてます。亜高山帯針葉樹林帯と針広混交林も、亜寒帯林と統一していることが多いようです。

中部山岳地帯を例にとると、標高500mよりも低い山地では、暖温帯あるいは丘陵帯などと呼ばれ、そこでの極相林はシイやカシ類などの常緑樹を主体とする森林(照葉樹林)です。岡崎や豊田市、豊橋や新城市の平野に隣接する丘陵地や山地は、この森林帯に属します。後に詳しく述べるように、この地域の里山林では、人手が入って樹木を伐採し続けてきましたので、落葉樹が多いです。

標高5001500mの地帯は、冷温帯あるいは山地帯と呼ばれ、ブナ林を中心とする落葉広葉樹林となります。深い谷を除く作手の高原状の地域は、標高500~700mでこの森林帯に属します。ブナ林はありませんが(文殊山にブナの巨木があるだけです)、コナラ・ヤマザクラを中心とする落葉樹が大半を占めます(後述)。1500m以上の山地になりますと、トウヒ・シラビソ・コメツガなどの針葉樹が卓越します。信州を旅した時、シラビソ高原に行きましたが、その山地に見られたシラビソやトウヒの針葉樹は美しかったです。落葉樹では、カラマツ・カエデ類が繁茂します。これを亜高山帯と言います。

以上は、森林の垂直方向の変化を見たものですが、南北の細長い日本列島の森林の水平変化にも同様の変化が見られます。北の方は寒いですので、それに見合った森林が繁茂します。北海道の北の方では、亜寒帯針葉樹林が繁茂します。大分前に北海道の礼文島に旅した時に、高山にしか見られない高山植物が標高の低い平地に存在しているのを見て驚いたことがあります。森林限界は、中部地方では標高2500mくらいですが、北に行くにつれた低下し、東北地方では1500mくらいになり、北海道の最北端では0mになっています。同様に他の森林帯も、その標高が北に行くにつれて低くなっていきます。

ボクが住んでいる旧作手村は、深い谷を除くとおよそ標高500700mですから、森林帯で言うと、冷温帯あるいは山地帯に相当し、落葉広葉樹林帯になります。標高の低い岡崎のような暖温帯林と比べると、岡崎でどこにでも見られる常緑樹の高木であるアラカシやツブラジイは、作手ではほとんど見られません。落葉樹でも、作手でたくさん見られるシロモジは、岡崎では見られません。岡崎で見られる落葉高木のアベマキは、作手では見たことがありません。森林帯の違いによって生息する植物の種類が異なるのですね。この辺をこの地域で詳しく調べてみると、面白いかもしれません

 

植物の種類があまり変わらない安定した状態のことを極相と言うことは、先に触れました。この極相としてあらわれてくる森林のグループを地図に描いてみますと、おおよそ一年間の平均気温(これを年平均気温と言います)の等しい線を結んだ線と一致します。それで、年平均気温の線を利用して日本の森林帯を4つに区分することができます。このように極相の違いで森林を区別したものを森林帯と言います。

 

森林帯区分

亜寒帯   6℃以下  北海道東北部

エゾマツ・トドマツの針葉樹林 カンバ類・ミズナラ・イヤタカエデ・カツラなどの落葉広葉樹とエゾマツ・トドマツが混じった森林

冷温帯林または温帯林 6℃から13℃  北海道西南部から東北の宮城県あたりまで

ただし、標高の高い所を入れると長野あたりまで

ブナ・ミズナラ・イタヤカエデ・トチノキ・カツラなどの他種類の落葉広葉樹が生えています

暖温帯林(温帯林)      13℃から21℃ 福島県から九州まで          シイ類やカシ類 

常緑広葉樹が極相となっている。

亜熱帯林                21℃以上           小笠原諸島や沖縄などの南西諸島

ガジマル・アコウ・ビロウ・木生(もくせい)シダ類が生えている 

 

 これを分布図として表したのが下の図です。亜熱帯林は、鹿児島県以南に分布します。図には示されていませんが、沖縄本島をはじめとする琉球列島も亜熱帯林が繁茂します。暖温帯林は、関東地方から西の西南日本に広く広く分布します。冷温帯林は、東北地方や北海道の西部に分布します。北海道北東部や山地の高いところには、亜寒帯林が分布します。

 それぞれの森林帯によって極相となる森林の様相も違ってきます。上に述べた森林帯の樹種が、その森林帯の極相林を構成します。

日本の森林帯
日本の森林帯


あけましておめでとうございます!今年はサザンカの花がいっぱい!

  新年、明けましておめでとうございます。

 引き続き、下手なブログを見てくださり、ありがとうございます。今年も、続けて作手の自然をご紹介したいと思います。ご教示をお願いいたします。


  さて、2週間ほど前、作手の家の近所を散歩した時の写真をお見せします。
 下は、2年ほど前から工事をしている林道の工事現場の様子を写したものです。大分先の方まで道路が作られましたが、遅々として工事が進んでいるとは言えません。かなり起伏のある土地ですので、工事が大変なのでしょう。手前は、菅沼川ですので、それに掛かる橋はまだ作られていません。工事の最後になるのでしょうか。

近所の工事現場
  今年は、サザンカの花が良くついています。下は、民家の庭先のサザンカですが、花がいっぱい付いています。わが庭のサザンカもいっぱい咲いています。
花がいっぱいのサザンカ

  下の写真の花は、何でしょうか。ヒメジオンかもしれません。ピンク色の花弁がきれいですね。
この花は何?
  道端にリンドウの花が咲いていました。こんな季節になっても、まだ花を咲かせるのですね。
まだリンドウが咲いていた
  下は、マンリョウです。赤い実が下の方について、きれいです。
マンリョウが赤い実を
  下の写真は、イチジクです。栽培しているのでしょうか。実が付いていますが、収穫はまだなのでしょうか。
イチジクの実が
  アオキに赤い実が付いています。アオキは常緑低木で、コナラなどの落葉広葉樹の下ばえとしてよく生えているのが見られます。人工林の下にも生えていますね。常緑ですので、光がそれほどなくても成長するのですね。赤い実がきれいです。
アオキに赤い実がついて
  下は、ヤブコウジです。地を這うように枝が伸び、そこに真っ赤な実が付きます。その赤い実がきれいなのですね。
ヤブコウジに赤い実が
  真っ赤な実がいっぱい付いたウメモドキがありました。実の数の多さにびっくりですね。
真っ赤な実がいっぱいの
  下は、ベニバナボロギクです。頭花の部分が赤いのが特徴で、それが白いのはダンドボロギクです。両方とも頭花が咲き終わると、白い穂を出して風に吹かれて飛び散り、種を散布します。
ベニバナボロギクの頭花




ちょっと別の角度から、自然を考える!森林の遷移について

  12月の終わりになりました。しばらくブログをアップしていないのは、紹介すべき自然がほとんどなくなってしまったからです。冬は、植物の活動は休止します。残っている木の実を見るくらいしかありません。つまり、ブログのネタがないのです。その間、ちょっと別の角度から森林の自然について、何回かに分けて話題を提供してみたいと思います。

森林の遷移について

 

 このところずっと、作手や岡崎の野山を歩いて目についた植物をご紹介する形でブログを書いてきました。ボクの知らない植物がいかに多いか、痛感しているところです。自然に詳しい人は、どんな植物でも名前が出てきて、その生態を知っておられるのですね。うらやましいと思います。野山を散歩する楽しみは、樹木や草の花々の美しさに出会うことでしょうね。花ばかりでなく、姿かたち、実や冬芽の美しさにも感動します。それらの感動をお伝えしたくて、ブログを書いているわけです。名前が分かると、図鑑などでその植物の詳しい特徴や生息環境など生態を知ることができますので、名前の同定がとても大事になるわけです。

 でも、そればかりでは、自然の今を十分に理解したとは言えません。別の角度から自然の成り立ちを考えてみたいと思います。今回は、生態学の基本として言われていることに、森林の遷移という考えがあります。目の前の森が、遷移のどの段階にあるかを知ることはとても重要だと思いますので、素人の聞きかじりですが、ボクの下手な文章を書いてみたいと思います。

 

 森の出発点とは? 裸地から草原、灌木へ

自然は、大規模な山崩れが起こったり、あるいは大規模な山火事が起こったりすることがあります。そこには植物はほとんどなくなり、岩や土砂が積もった裸地が出現します。あるいは大規模な火山活動で溶岩や火砕流が堆積すれば、地表に植物がなくなり、ほとんど裸地になります。海岸地域では、津波が襲うと大半の家屋と森林が押し流され、裸地状態になります。5年前の東北地方を襲った巨大津波を思い起こしてください。津波が襲ったところは、根こそぎ森林が破壊されました。それらが、森の移り変わりの初期状態(出発点)と言ってもよいでしょう。

最初はそうであっても、年月が経つにつれて、森が出現します。富士山でも他の火山でも、噴火当初は全くの裸地状態であったのに、今はほとんどの山体が森林に覆われています。砂漠のような植物が全くない環境であっても、雨が降る状態の気候に変化すれば、植物が生えてきます。裸地から森へと、植物はどのように移り変わっていくのでしょうか。

 たとえ裸地であっても、そこに他の地域からの種が飛んできて、土壌と水分があれば発芽して草が生えてきます。溶岩などであれば岩石が固くて土壌がないので、種は発芽しません。そのようなところでは苔など地衣類がつくだけです。地衣類が付いて増えれば、雨水を蓄えますので、草の種子は発芽できるようになります。昔、「浅間山の鬼押し出し」を歩いたことがありますが、330年(1783年)ほど前の大規模噴火で流れ出した鬼押し出し溶岩流の原野が広がっていました。荒涼とした風景ですが、溶岩の窪みには草本や灌木が生えていました。300年少々しか経っていないのに、植物が生育しているのです。おそらく1000年も経たないうちに、立派な森とは言えなくても、森林が成立することでしょう。

 日本は温帯に属していますので、夏と冬の気温の変化は大きいですし、毎日の気温変化も大きいです。すると裸地になっている硬い岩石も、気温変化で次第にボロボロに風化していきます。それに雨が降って鉱物が化学的に分解され、土壌が形成されていきます。三河地方は花崗岩地域が多いですが、新しい道路の切り割りなど花崗岩が露出しますが、10年も経たないうちに岩石の表面はボロボロになり、植物や樹木が生えてきます。

草が繁茂するいうことは、毎年草は枯れますので、土壌に有機物が供給されるということです。最初は一年ごとに生え変わる一年草の草原が形成され、年を経るにつれて次第に多年草の草原に代わっていきます。多年草というのは、根が何年も枯れないで何年か毎年植物が成長する草本を言います。風化作用で生じた土も、有機物が無ければ植物は育ちません。草の繁茂する量が多いほど、土壌が豊かになり、樹木でも成長することができるようになります。さらに灌木や、乾燥した場所でも土壌が乏しいところでも生えるアカマツのような植物が生えてきます。荒れ地にアカマツが生えている風景を見たことがあると思います。さらに土壌が豊かになると、いろいろの種類の灌木が生えてきます。

遷移の初期には、土壌が十分に成熟していませんので、樹木は育ちません。しかし、乾燥した土地にでも耐えられる樹種があります。上の述べたアカマツもそうですし、ヤシャブシなどは、乾燥した土地にも生育できる種で、他の樹木に先だった生える木という意味のパイオニア・プラント(先駆植物)と呼ばれます。ヤシャブシなどは、道路の切り割りなど新しく裸地になったところにも生えはじめ、成長が早いですのですぐに大きな樹木に成長し、大量の落ち葉を降らせます。こうして土壌に有機物が供給されるのです。
  20年ほど前、大雨で山崩れが多発した地域を歩いたことがあります。山崩れから数年たっていましたが、崩壊地にハリエンジュ(ニセアカシア)が生えていました。それもほとんどすべての崩壊地に生えていたのです。ハリエンジュも荒れ地に真っ先に生えてくる種で、マメ科の植物は根粒菌を伴うので土中の窒素を固定し、荒れ地でも成長するのだそうです。これもパイオニアプラントです。
 ネットで調べてみたら、他にもたくさんあることを知りました。アカメガシワ、クサギ、カラスザンショウ、シラカバ、ヤマハンノキ、ネムノキなどです。そういえば、ネムノキはマメ科の樹木でした。また、カラスザンショウが一面に生えている山を見たことがありますが、その場所はかつて崩壊地だったのでしょう。アカメガシワもシラカバも至る所に生えていますね。それも先駆植物だったのですね。そういう先駆植物がたくさんあるのにびっくりしました。これらはみな陽樹ですので、周囲の樹木が生い茂るようになると光が地表まで届きにくくなるので、実生が育たなくなります。

 

草原から落葉樹(陽樹)の森へ


 さらに年月が経つと、大きな樹木が生長できるようになります。大きな樹木が育つ前は、灌木程度の木本と草本ばかりですので、太陽の光が地表に豊かに注ぎます。光を受けて育つ樹木を陽樹と言います。植物の大部分は光合成によって成長していきますので、光がないところでは育ちません。落葉樹のほとんどは陽樹です。そのうちにコナラやヤマザクラなど、背が高くて樹冠の大きな高木になる樹木も生えてきます。

しかしこれらの落葉高木は、葉が薄いことと葉の密度が低いので日の光を通し、地表にまで十分に光が届きます。そのため樹木から落ちた実は発芽して、光を受けて成長していきます。そのうちに他の陽樹も生えるようになって、落葉樹の森が豊かに成立していきます。このような状態が長く続くと、シロモジ、タカノツメ、ヌルデ、コシアブラ、ホオノキなどの中・高木の落葉樹が森を豊かにしてくれます。いずれも落葉ですので、秋には紅葉・黄葉が美しい森になります。

しかし、樹木が成長するにしたがって、林床は次第に光が届きにくくなりますので、大きく成長する落葉樹は少なくなっていきます。

 

 常緑樹(陰樹)の森へ



 落葉樹の森は、秋に落ち葉を大量に落とします。小枝も落とします。ということは、土壌がさらに豊かになるということです。そうすると、その落葉の森にも常緑樹が生えるようになります。岡崎や作手では、ヒサカキ、アセビ、イヌツゲ、ソヨゴ、ヤブツバキなどの常緑低木が、コナラやヤマザクラの高木の下生えとして成長しています。これらの常緑樹は陰樹と呼ばれ、光が少なくても育ちます(全く光がないところでは育つことはありませんが・・・・)。

岡崎など標高の低い地域(標高300m以下)の森には、陰樹としてアラカシやツブラジイなどの常緑高木が成長していきます。これらの常緑樹は、葉が厚くできていて葉の密度も濃いので光を通しにくくなっているうえに、背が高く樹冠の大きな樹木になりますので、太陽の光を遮り、その下では光があまり届かす、暗い森になります。それらの常緑高木が優勢な森になっていくと、地表に太陽の光が届きにくくなり、コナラ・ヤマザクラなどの陽樹は成長しにくくなります。こうして、森は次第に落葉広葉樹から常緑樹の森に遷移していくのです。

常緑樹というと年中緑の葉が付いていると思いがちですが、実際は毎年葉の三分の1くらいは枯れて落葉します。このようなサイクルが繰り返されますので、それらの落葉によって森の土壌がさらに豊かになり、常緑の森が維持されます。常緑樹が森の樹冠の大半を占めるようになると、陽樹である落葉樹は成長できなくなり、落葉樹は姿を消していき、各種の常緑樹が多様性を見せ、多様な種類の常緑樹が大半の森になっていきます。このようにして植物の種類があまり変わらない安定した状態のことを極相(クライマックス)と言い、そのような森を極相林と言います。原生林などと言ったりもします。森林の遷移の最終段階です。

以上のように、暖温帯林では、裸地から落葉の森、さらに常緑の森へ、そして極相林へと自然に移り変わっていきます。極相林になるまでには長い年月が必要ですが、土地の条件によって違いがありますが、日本の暖温帯林では300年とか500年くらいかかるだろうと言われています。つまり500年くらい人手が入らず、自然の遷移が続いて植物相が安定して初めて極相林と言えるのです。

 

一次遷移と二次遷移


大規模な土石流や火山活動による溶岩の流出や火砕流の堆積が起こった場所では、そこには土壌がないために、植物が入りにくい環境になります。そのような場所では、蘚苔類から遷移が始まります。そのような森林の遷移を一次遷移と言います。それに対して、大規模な山火事の場合には、あるいは人間の伐採で森林はなくなっても土壌は残っていますので、その後の遷移は急速に進みます。これを二次遷移と言います。一次遷移の原因となる火山活動や大規模の山崩れは、局地的あり、まれにしか起こらない現象ですので、二次遷移の場合が大半です。

 

遷移の攪乱


このような森の遷移がセオリーどおりに進行するとは限りません。通常の遷移の進行が攪乱される、あるいは妨げられることがあります。大規模の山火事が起こったりすると、再び裸地状態に戻ります。あるいは、人間が森林を伐採しても同じことが起こります。遷移が中断してしまうのです。常緑の森でも、時々森の巨木が倒れることがあります。病害虫に侵されたりすると巨木が倒壊し、そこには地表まで光が注ぐようになり、常緑林の中に落葉樹林がスポットのように育つことがあります。例えば、鹿が樹皮を食べてしまい、トウヒの森が枯死することもあると聞きました。原因には違いがありますが、攪乱されて森が変質するような森林が大部分なのであって、極相林なんて本当は存在しないのだ、という意見もあります。

 長くなりますので、次回に回します。次回は日本の森林帯について話題にします。


 

ネジキ、タカノツメの紅葉・黄葉が美しい!

    岡崎の道根往還を歩いた続きです。下の写真は、クサギです。赤い花序が、まるで赤い花が咲いたようです。黒い実もついています。
クサギの赤い実が
  下は、ヒサカキの枝下にびっしりと黒い実が付いている様子を写した写真です。どこにも見られるありふれた常緑低木ですね。夏に白い花がいっぱい枝下のつきます。
ヒサカキの黒い実が
  下は、ネジキの紅葉を写した写真です。ネジキがこんなに美しい紅葉になるなんて、知りませんでした。幹の木肌の縦じわがねじれているのでその名が付いたと言われています。冬芽も赤くてきれいなのですね。
ネジキの紅葉が
  大きな枯れ木にオレンジ色のサルノコシカケがびっしりと付いていました。この種に限らず、キノコ類はどうして枯れ木に着くのでしょうか。シイタケ栽培でも、伐採したコナラなどのホダギに菌を植えて作りますね。その理屈を知りたいですので、ご存知の方は教えてください。
枯れ木にサルノコシカケ
  タカノツメの黄葉がきれいでした。三枚セット(3出複葉)の葉が特徴で、下の写真のように黄色く黄葉するのですね。それが美しいのです。一粒だけ赤い実が残っていました。
タカノツメの黄葉が美しい

  次は、作手の開成地区での観察です。今の季節、ナンテンに赤い実がいっぱい付いていてとてもきれいです。写真に見るように、葉も紅葉しています。我が家にも、他の民家にもほとんどの家に植えられています。正月の飾りに使うからでしょう。縁起物なのですね。
赤いナンテンの実が
  今の季節、道端に下の写真のアメリカセンダングサがいっぱい咲いています。黄色い頭花が終わると、針のような種がクッツキ虫となって動物について運ばれるのですね。
アメリカセンダングサガ引っ付き
  我が家の対岸のイロハモミジの紅葉もほぼ終わりました。葉を落とした後は、赤い枝先が、遠目にはピンク色に輝きます。それもきれいです。
赤っぽいイロハモミジの枝先
  まだ残っていた個体もありました。紅葉が美しいです。
残っているイロハモミジの紅葉
  前に、今年はムラサキシキブの実がほとんど見ないことをお話しましたが、この沿道で下の写真のムラサキシキブの実を見ました。でも、実の数は少ないです。淡い紫色の実が美しいですね。
わずかにムラサキシキブの実が

冬に花が咲くサザンカ!サンショウの実は黒い真珠!

    いつもの散歩道、開成地区への道を歩いていたら、下の写真のマユミに出会いました。実が割れて中から真っ赤な種が見えます。きれいですね。
マユミの実がきれいで
  川の向こうの丘陵の尾根は、雑木林であることが分かりますね。その下の斜面は、スギやヒノキの人工林です。作手に限らず、多くの地域で、尾根付近は雑木林になっていることが多いのです。1950年代から始まった拡大造林の時代に、農林省の莫大な補助金予算で植林が奨励されました。日本の人工林はその時代以降に大規模に造林されました。作手もその例外ではありません。それまでも、雑木林(自然林)を伐採してスギ・ヒノキを植えていった(寒い地方ではカラマツ)のですが、山の性質を知っている農家の人は、尾根付近は山崩れが起こりやすいので、雑木林を残してスギ・ヒノキを植えなかったのです。
 というのは、スギ・ヒノキは根が深く張らないのに対して、雑木林のコナラなどの広葉樹は根が深く張るので山崩れが起こりにくいのです。そういう山の性質をよく知っている農民は、植林するのに尾根付近の雑木林を残したのです。下の写真の景色は、そのことをよく物語っていますね。
 また、スギは水分の多い土壌を好みますので、沢沿いあるいは斜面の下の方に植え、ヒノキは斜面の上の方に植えました。必ずしもすべてのやまでそのような植え方をしているとは限りませんが、大方そのようになっています。こんなことも、知っていると森の景色を見る参考になりますね。

山の尾根は雑木林

  今年は、我が家の植え込みに植えたサザンカの花がとくに多く咲きました。今は、数10個の花が咲いています。つぼみもたくさんついています。どうしてなのでしょうか。実も生り年とそうでない年があるように、花も同じなのかもしれません。でも、サザンカは晩秋から花が咲きだし、冬中咲いています。普通の樹木は、春や夏に花が咲き、秋に実が生るのが一般的ですね。冬に花を付けている植物は極めて希です。サザンカは反対なのです。これはなぜなのでしょうか。
サザンカの花がいっぱいで
  下も、庭に植えたサザンカですが、花の色はピンクです。これもきれいです。この木も花がいっぱい付いています。
ピンクのサザンカが
  林道を歩いていたら、ホオジロの群れがやってきました。最近小鳥に出会うことがなかったので、嬉しかったです。
ホオジロに出会った
  今の季節、どこにでもノコンギクが咲いています。菊の仲間はたくさんの種類があって区別しにくいのですね。ノコンギクの花と同時に、葉の特徴を捉えるように写真を写しました。葉の鋸歯が大きいのですね。
ノコンギクは葉が特徴
  下は、サンショウの実です。真っ黒で光沢があり、美しいです。まるで黒い真珠のようです。よく見ると、外側の殻が割れて黒い実が出ているのですね。黒いのは種かもしれません。
サンショウの黒い実
  お隣の家の庭に、きれいなピンク色の花を付けた植物がありました。細かな鋸歯のある大木は葉が目立ちます。久しく名前が分からなかったのですが、このブログの読者に教えていただきました。ヒマラヤユキノシタと言うのです。息子さんが沖縄に行った時のお土産に植えていった、と言います。珍しい種ですね。
ヒマラヤユキノシタの花が
  シロモジはこの地方で最も個体数が多い樹種ですが、ふつうは黄色い黄葉になるのですが、この個体はオレンジ色の紅葉なのです。黄葉と言ったらよいのか、黄葉が正しいのか分かりませんね。美しい紅葉です。
赤っぽい葉のシロモジ
  下は、タカノツメの黄葉を写しました。淡い黄色の葉が美しいです。
タカノツメの紅葉が美しい


紅葉の色比べ!カツラ、コシアブラ、カラマツ、シロモジ、ウリカエデ、イロハモミジなど!

   下は、庭の黄葉です。きれいになりました。真ん中の黄色がカツラの黄葉です。右手奥がシロモジです。左端の針葉樹はカラマツです。我が家は、黄色ばっかりです。近所を散歩しながら、いろいろの樹木の紅葉を撮影してきました。
11月庭の黄葉
  カツラの黄葉も、詳しく見ると、葉の色が黄色一色ではなく、淡いピンク、緑色、葉脈が浮き出ているものもあります。面白いですね。
カツラの黄葉が
  下は、コシアブラの黄葉です。5枚の丸い葉が特徴ですね。葉の色はほとんど白ですね。やや黄色が入っているでしょうか。白い黄葉なんて見たことがありません。
コシアブラの黄葉は
  下は、タカノツメの黄葉です。3枚セット(3出複葉)の葉が特徴です。黄色が濃くてきれいですね。タカノツメは作手にもありますが、岡崎では個体数がすごく多いです。作手ではシロモジの個体数が多いのですが、その違いはおそらく気候的な要因でしょう。
シロモジの黄葉が
  下は、オオモミジの黄葉です。オオモミジは、イロハモミジのように葉が小さくはなく(約5cm以下)、かなり大きいのです。こんなきれいな黄葉になるとは思いませんでした。
オオモミジの黄葉が
  シロモジの黄葉は、一般に黄色ですが、下は、かなり茶色っぽいのです。同じ樹種でも黄葉の色はかなり違うのですね。枝先についているのは花芽だろうと思います。
シロモジのオレンジ色の黄葉
  下は、イロハモミジの紅葉です。きれいです。赤と黄色のコラボレーションがきれいなのですね。
イロハモミジの黄葉はきれい
  別の木ですが、赤と黄色の配色が美しいです。枝の先端付近が赤くなっています。だから、下の方の枝の葉が黄色なのですね。何という美しさでしょうか。
イロハモミジのグレイディング
  下は、ウリカエデの紅葉です。これも、赤い葉と黄色い葉が共存しています。これもきれいですね。
ウリカエデのグレイディング
  下は、ヤマウルシの紅葉です。これは、すべての葉が赤ですね。でも、黄色の葉も入っています。赤と言っても、紫がかった赤と言ったらよいのでしょうか。植物の色を言葉で表現するのはとても難しいです。
ヤマウルシの紅葉がきれい







面の木園地は紅葉を見に行きましたが、紅葉は盛りを過ぎていました!

   11月17日、先週の木曜日に、面の木園地に行きました。紅葉を見るためです。三人の友達を誘って楽しく行ってきました。ところが、紅葉の盛りは過ぎ、葉を落としている樹木が多く、紅葉を楽しむほどではなかったことが悔やまれます。それでも、目立っている樹木の紅葉を撮影してきました。
 下の写真のように、ガマズミが実だけになって(大分葉を落として)いる光景は見事でした。
ガマズミの赤い実だけが

  赤いガマズミの実が
  ウメモドキも同じでした。下の写真のように、葉はほとんどなく、赤い実だけが輝いていました。美しいですね。
ウメモドキの赤い実だけが

赤い実だけのウメモドキ
  黄葉が美しかったのは、下の写真のダンコウバイです。これは赤い葉ではなく、黄色い葉で黄葉です。濃い黄色の色が美しいです。実のようなものが付いていますが、花芽だと思います。
ダンコウバイの黄葉が
  下の写真の赤と黄色の紅葉は、ドウダンツツジです。紅葉と黄葉が共存しているのですね。
ドウダンツツジの黄葉がきれい
  下のメギも紅葉がきれいでした。鋭い刺があり、真っ赤な実を付けていました。葉と実の赤が同じなので、見分けがつきませんね。でも、実は光沢があるので分かります。
真っ赤なメギの紅葉
  下は、サワダツだろうと思います。同じように葉は紅葉していますが、一粒だけ赤い実が付いていました。
サワダツの紅葉がきれい

  我が家に帰ってきたら、田んぼを隔てた対岸の川沿いに、イロハモミジが見事な紅葉を迎えていました。作手は、この時期が紅葉の最盛期なのです。今は、それから10日近く経っていますので、作手の紅葉は盛りを過ぎてきて、葉の色の鮮やかさがなくなってきています。
我が家の前のイロハモミジの紅葉





coppice(雑木林)

森楽、flutevioline

Author:森楽、flutevioline
退職後、都会生活ばかりだったボクにとって田舎の自然豊かな里山の生活は、新しい発見の連続で楽しい! 自然の写真が満載です! また、こんな老い生き方があることを示したみたい!

最近の記事

最近のコメント

ブログ内検索

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。